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関東大震災100年 そのとき、皇室は…昭和天皇は馬に乗り被災地視察 宮内公文書館に資料残る:東京新聞 TOKYO Web
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関東大震災100年 そのとき、皇室は…昭和天皇は馬に乗り被災地視察 宮内公文書館に資料残る:東京新聞 TOKYO Web
9月1日に発生から100年を迎える関東大震災では、皇族や宮内省(現宮内庁)も震災対応に追われた。政務を... 9月1日に発生から100年を迎える関東大震災では、皇族や宮内省(現宮内庁)も震災対応に追われた。政務を執る摂政だった皇太子時代の昭和天皇は被災地を視察し、貞明皇后(大正天皇の皇后)の発案で医師らによる「巡回救療班」が組織された。皇居内の宮内庁宮内公文書館には、当時としては異例の活動を伝える資料や写真が数多く残されている。(佐藤大) 大正12(1923)年9月の大震災発生から2年後にまとめられた「宮内省臨時災害事務紀要」には、皇族・宮内省の被害状況や、大正天皇の摂政だった昭和天皇の被災地視察の記録が並ぶ。皇室では、神奈川・鵠沼に滞在していた東久邇宮稔彦王(ひがしくにのみやなるひこおう)の子どもの師正(もろまさ)王(当時5歳)ら3皇族が亡くなった。宮城(皇居)内の被害は「全壊660坪、半壊958坪、大破4220坪」と記され、発生2日後には、被災者向けの寄付金「救恤(きゅうじゅつ)金」1000万