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國分功一郎『中動態の世界~意思と責任の考古学』を読む - 『男の産後うつ』になったようだけど女装したら治ったみたい
人には意志ではどうしようもないことがある、というのは、誰にでもある程度理解できると思う。 それを理... 人には意志ではどうしようもないことがある、というのは、誰にでもある程度理解できると思う。 それを理解しておきながら、人の行動に対して意志や責任を求めるのはなぜか?という問いを、哲学者が言語学にもとめるという面白い本を読みました。 この本に出会っていたなら、私はもう少し早く救われたのにと思える本だったので、少しレビューしたいと思います😊 中動態とは何か 私の中の「やってしまっていること」 DV加害者の自発性を引き出す可能性 DVだけの問題ではない 中動態とは何か 例えば、私が誰かにお金を渡すとする。 テロリストの思想に賛同して資金を渡したのであれば、それは私に意志があったから(私の責任が濃厚)とみなされる。しかし不良からカツアゲをされて仕方なくお金を渡したとなると、私の意志ではどうしようもなかった(私の責任は薄い)とみなされる。 このように、同じ「渡す」という行為ではあるけれども、状況によ
2017/09/13 リンク