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甲子園球場に閑古鳥が鳴いていた時代。いかに阪神は関西屈指の人気球団となったのか?阪神タイガースの歴史を読み直す(1) - 大和徒然草子
連日満員の甲子園球場。 関西のプロ野球ファンの多くに馴染みある光景となっています。 阪神タイガース... 連日満員の甲子園球場。 関西のプロ野球ファンの多くに馴染みある光景となっています。 阪神タイガースは関西では抜群の人気を誇る人気球団で、相手チームがどこであろうと、内外野のマンモススタンドに大勢の阪神ファンが連日詰めかけます。 今や関西では当たり前のようになった光景ですね。 しかし、このような状態は、実は近年になってから、1985(昭和60)年あたりからということを皆さんご存じでしょうか。 論より証拠ということで、阪神が史上初めて年間の観客動員数100万人を突破した昭和37(1962)年の状況をみてみましょう。 この年の日本シリーズは、阪神と東映フライヤーズ(現在の北海道日本ハムファイターズ)との間で争われました。 東映はパリーグ初制覇。 阪神は2リーグ分裂の際、毎日に主力を大量に引き抜かれて戦力低下したため長らく低迷した時期をようやく脱し、分裂後、セリーグ初優勝という年です。 阪神は初め
2019/07/16 リンク