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大山崎町 天王山 ~大山崎天下取り決戦祭り~
「この試合が、リーグ戦の天王山となります!」などと、スポーツや政治などの重要な場面を現すときに使... 「この試合が、リーグ戦の天王山となります!」などと、スポーツや政治などの重要な場面を現すときに使われる天王山(てんのうざん)という地名。天王山という言葉は、今や「天下分け目の大決戦」の代名詞となっています。 天王山は京都府・大山崎町に実在する山です。大阪府と京都府の境に位置し、天王山という名前は、山の中腹にある山崎天王社に由来すると言われています。 天正10(1582)年、本能寺の変で織田信長を討った明智光秀は、信長の仇討ちを目指す羽柴(豊臣)秀吉とこの地で戦いました。これが「山崎の戦い」です。この戦で天王山を制したものが天下を治めることになるとして「天下分け目の天王山」という言葉が生まれました。 天正10年6月13日の申ノ刻、天王山の東側に陣取った明智勢が、秀吉方の中川清秀、高山右近、羽柴秀長らの軍勢に攻めかかりました。天王山と淀川の間の狭い道を通る秀吉勢を個別に撃破する作戦でした。しか