エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
豊前田遊郭(山口県下関市)の歴史|おいらんだ国酔夢譚|
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
豊前田遊郭(山口県下関市)の歴史|おいらんだ国酔夢譚|
豊前田遊郭概論豊前田の歴史は江戸時代までにさかのぼります。江戸末期には細々とした船宿街で、ハイソ... 豊前田遊郭概論豊前田の歴史は江戸時代までにさかのぼります。江戸末期には細々とした船宿街で、ハイソな遊里稲荷町・裏町に対し下級の遊女がたむろする遊所でもありました。 そんな豊前田に一大転機が訪れたのは、明治34(1901)年の下関駅の開業。 ネットの情報では、豊前田遊郭が開業したのは駅が開業した明治34年と書いてるのもありますが、明治15年の『山口県統計書』にはすでに貸座敷指定地(遊郭)として豊前田の名前があります。それ以前に遊里として存在していたことは確か、「発展した」のが明治34年以降という見方と私は踏んでおきます。 当時の下関駅は今の駅とは位置が違っており、現在の位置になったのは関門トンネルが開通した昭和17(1942)年のこと、当時は門司駅(今の門司港駅)との連絡船との関係で、もっと海沿いにありました。 統計データから豊前田遊郭の変遷を見てみましょう。 豊前田遊郭は「下関一の大遊廓」