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「戦艦大和」沈没64年 生存者が語る沖縄海戦 (1/2ページ) - MSN産経ニュース
64年前の4月7日、沖縄戦に向かう途中で米軍機の攻撃を受けて沈没した世界最大の戦艦「大和」の元乗... 64年前の4月7日、沖縄戦に向かう途中で米軍機の攻撃を受けて沈没した世界最大の戦艦「大和」の元乗組員、鶴谷游健さん(87)=和歌山県高野町=が、これまで語ることの少なかった自らの体験を産経新聞の取材に応じて語った。北朝鮮のミサイル発射問題が緊迫化する中、8日に米寿を迎えるのを前に重い口を開き、「平和の大切さをかみしめてほしい」と訴えた。 鶴谷さんが大和に乗艦したのは昭和19年3月。レイテ沖海戦に参加後、20年4月に沖縄へ向けて出撃。7日に運命のときを迎えたが、その時をはっきり記憶している。 6機の米軍偵察機が飛来後すぐに姿を消し、まもなく大編隊の戦闘機が大和に一斉攻撃を始めた。鶴谷さんは、3人一組の7番広角砲で射手に発射角度や砲撃開始などを伝える「照尺手」。6砲が1カ所目がけて砲撃することになっていたが指令が届かず、各砲がバラバラに撃つ方測照準となったために、思わず「一番機をねらえ」と叫ん
2009/04/04 リンク