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【風の間に間に】論説委員・皿木喜久 自民党が忘れてきた「唄」 - MSN産経ニュース
「唄(うた)を忘れた金糸雀(かなりや)は…」で始まる童謡『かなりや』の詩は大正7年、西条八十が「赤... 「唄(うた)を忘れた金糸雀(かなりや)は…」で始まる童謡『かなりや』の詩は大正7年、西条八十が「赤い鳥」に発表した。26歳のときである。 西条は早くから詩に親しんでいた。だがこの時代、天麩羅(てんぷら)屋を営む一方、株の売買に夢中だった。そんなとき「赤い鳥」の鈴木三重吉から児童向けの詩を依頼され、思わず口をついて出たのが「唄を忘れた…」である。「かなりや」は西条自身だったのだ。 こんなことを思い出したのは、総選挙で惨敗した自民党と「かなりや」とが、どこか重なって見えるからだ。 おさらいするまでもないが、自由党と日本民主党とが一緒になり自由民主党が誕生したのは、昭和30年11月のことだ。民主党の鳩山一郎が首相だったが、少数与党である。安定政権のため保守合同が必要だった。左右に分裂していた社会党に統一の機運があり、社会主義政権を阻止せねばならないという理由もあった。 だが最大の目的は、新政党を
2009/09/08 リンク