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【憂国論(中)】「松下幸之助」が見据えた100年後の日本の姿は「無税国家」「新国土創成」(1/3ページ) - MSN産経west
(1)「政治が悪ければ、すべて水泡や」…から続く ここに1冊の古びた本がある。「憂論 日本はいまな... (1)「政治が悪ければ、すべて水泡や」…から続く ここに1冊の古びた本がある。「憂論 日本はいまなにを考えなすべきか」。松下電器産業(現パナソニック)の松下幸之助とソニーの盛田昭夫による昭和50(1975)年に出版された対談集である。 電機業界のみならず日本を代表する経営者2人の異例の対談だが、内容は戦後30年を経て日本が直面する問題についての辛辣(しんらつ)な言葉が並ぶ。 50年といえば、高度成長期が終わり、48年の石油ショックなど厳しい側面もあったが、それでも日本経済の歴史の中では「安定成長期」。国民の多くがまだ日本の勢いに酔いしれていた時期だった。それにもかかわらず、幸之助は提言や著書で日本の未来について警鐘を鳴らし続けた。83歳で決意した「松下政経塾」設立 「独自の国家観を持っていただけに、当時の政治の状況とギャップがあったのだと思う。日本の財政、経済のあり方をとても心配していた」
2014/04/28 リンク