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【歴史戦 第1部 河野談話の罪(4)前半】中国“歴史カード”の1つに急浮上した「慰安婦」+(1/2ページ) - MSN産経ニュース
3月下旬の南京市は汗ばむような陽気だった。 「戦時中に旧日本軍が造った慰安所としてはここがアジア... 3月下旬の南京市は汗ばむような陽気だった。 「戦時中に旧日本軍が造った慰安所としてはここがアジアで最大だと考えている」。周辺住民が無造作に捨てた生活ゴミの山を踏みながら、廃屋と廃屋の間をすり抜けるように歩く南京史を専門とする南京師範大学元教授の経盛鴻(69)はこう話す。 戦時中、南京市内で日本人街があったという住宅街の一角に「慰安所」はある。6年前の春節(旧正月)に周辺住民が打ち上げた花火が引火して火災が起き廃屋となっていた。 「慰安所」は木造家屋7棟のうち、朝鮮半島出身の慰安婦用の「東雲楼」1棟、日本人女性用の「故郷楼」とみられる建物の5棟が残る。中国人女性がいたという「吾妻楼」は数年前に取り壊された。故郷楼は主に士官や下士官が、東雲楼、吾妻楼には兵士らが通ったという。慰安婦の部屋を訪ねるチケットを購入する窓口や商店が軒を連ねた木造建築も残されている。 朝鮮半島出身の慰安婦は約30人いた
2014/05/23 リンク