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「もはや『戦後』ではない。」の真意 | 科学技術のアネクドート
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「もはや『戦後』ではない。」の真意 | 科学技術のアネクドート
先日、国会図書館で昭和31年度の『経済白書』を閲覧しようとしました。流行語「もはや『戦後』ではない... 先日、国会図書館で昭和31年度の『経済白書』を閲覧しようとしました。流行語「もはや『戦後』ではない」が載っている有名な白書です。 蔵書検索システムで「経済白書」「1956年以降」と入力し、検索。ところが「1959(昭和34)年」以降のものしか見当たりません。科学技術・経済情報室の司書に聞いても、見つからず。「国会図書館も有名な資料を所蔵していないものよ」と驚いたものでした。 じつはこれ、とんだ間違いでした。『経済白書』の正式名称は『年次経済報告』。これで再検索をしてみると、昭和26-43年度の資料が検索されます。さらに便利なことに、全文を内閣府のホームページから閲覧することもできるのです。 で、「もはや『戦後』ではない」。 一文だけ切りとると、「敗戦から10年。日本も混乱期を脱した」という、明るい将来を予兆するような意味合いで捉えられる向きがあります。けれども、前後を読むとそうではないこと