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廣井脩『災害と日本人』を読んで、災害を天譴とかいってはいかんと思った。 - 革新的国家公務員を目指してー自由と民主主義を信じ国益を考えるーAiming at the innovative official
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廣井脩『災害と日本人』を読んで、災害を天譴とかいってはいかんと思った。 - 革新的国家公務員を目指してー自由と民主主義を信じ国益を考えるーAiming at the innovative official
職場の図書館から借りてきた。昭和61年という、だいぶ古い本。 石原都知事が東日本大震災を天譴といって... 職場の図書館から借りてきた。昭和61年という、だいぶ古い本。 石原都知事が東日本大震災を天譴といって、あわてて取り消していたが、天譴論、あるいは、運命論というのは、日本人の災害に対する古くからの考え方らしい。 この考え方は、著者によれば、災害に対する被害、悲しみを緩和する側面があるものの、かえって、事前の防災、減災を目指す合理的な努力の阻害要因になるという。(p130) このような精神的な傷に対して、自然とその緩和をはかる働きは人間がもっているものだが、本来は、地域のコミュニティによる共助による助け合い、時間がたってからは、医療スタッフによる精神面での支援などをきちっとやっていくべき話。 人間の力ですべての被害を抑えきることはできないが、とにかく、命を守るという施策を充実していくことと、災害で失ったもの、心の傷を共助、公助の力で支えていくという、複合的な政策が必要と感じる。 そういう体制が
2012/11/07 リンク