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東アジアの視点抜きに、もはや日本文学は語れない-環境文学研究集会報告(3・終)
標題は、村井章介編『日明関係史研究入門』(勉誠出版、2015年)の帯に「アジア史的視点を抜きに、もは... 標題は、村井章介編『日明関係史研究入門』(勉誠出版、2015年)の帯に「アジア史的視点を抜きに、もはや日本史は語れない」とありましたのをお借りしました。日本の歴史研究がアジアの視点を取り入れて、人文科学の国際性を先導していることは周知のことです。それにいささか倣った次第です。 なぜ、こうした標題を掲げたかと言いますと、今回の北京での研究集会で、とりわけこの東アジアの問題を考えさせられたからです。 もう十四五年ほど前になりましょうか。初めて韓国の日本文学関連の学会に参加し、発表等を拝聴して強く印象に残ったことがありました。それは韓国の日本文学研究への熱意と真摯さ、そして日本側のいささかの冷たさ、関心の低さでした。 学会の会場は首都のソウルでなく地方でしたから、それほど多くの参加者はありませんでしたが、発表者は皆さん熱っぽく日本文学のあれこれについて日本語(一部は韓国語)で語っていらっしゃいま
2016/12/13 リンク