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国際日本文化研究センター図書館 OPAC
本稿は、文献史料をもとに昭憲皇太后(以下、皇后)の最初の国産洋装大礼服の製作者やその着用について... 本稿は、文献史料をもとに昭憲皇太后(以下、皇后)の最初の国産洋装大礼服の製作者やその着用について考察を行うものである。1886(明治19)年にドイツ・ベルリンに発注された皇后最初の大礼服については、すでに拙論(柗居宏枝「昭憲皇后の大礼服発注をめぐる対独外交」(お茶の水女子大学『人間文化創成科学論叢』第18号、2015、39-48頁))において明らかにしている。その後、1887(明治20)年にドイツよりプロイセン皇室侍従長のオットマール・フォン・モールと妻のヴァンダが宮内省顧問として日本に招聘され、数々の宮廷儀礼が西洋式に改良された。中でもモール夫妻が国産洋服大礼服の製作に与えた影響は大きく、その指導によって織元の小林綾造が国産洋装大礼服を製作するに至るまでとなった。今回、宮内公文書館所蔵史料に加え、『郵便報知新聞』や『読売新聞』、『東京朝日新聞』における新年拝賀での皇后の大礼服の記述を渉猟
2015/12/24 リンク