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『哲学の教科書』って本当に教科書なのであった: tsunokenのブログ
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『哲学の教科書』って本当に教科書なのであった: tsunokenのブログ
『哲学の教科書 ドゥルーズ初期』(ジル・ドゥルーズ編著/加賀野井秀一訳注/河出文庫/2010年12月20... 『哲学の教科書 ドゥルーズ初期』(ジル・ドゥルーズ編著/加賀野井秀一訳注/河出文庫/2010年12月20日刊) 『哲学の教科書 ドゥルーズ初期』というタイトルからジル・ドゥルーズの初期論考かと思ったら、それは収められている一編『キリストからブルジョワジーへ』のみであって、後の一編『本能と制度』はまさに教科書、オルレアン高校教師のドゥルーズがまとめたマリノフスキーからマルクスまでの全66編にわたって、それぞれの人の哲学書からのアンソロジーなのであった。 『キリストからブルジョワジーへ』は訳注者加賀野井秀一氏の序文によればドゥルーズ21歳の時の処女論文であるそうだ。『人々は、現代社会における〈精神〉の破産を宣告しながら、唯物論の到来を呪っている』という書き出しで始まるその論文は『内的人間を市民に還元してしまうための卓越した試みである「社会契約論」において、一般意志は〈神〉のあらゆる特性をそなえ