エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
淵田美津雄の証し
1902年生まれ。太平洋戦争終戦時は連合艦隊参謀。1950年、日本基督教団・堺大小路教会で受洗。本原... 1902年生まれ。太平洋戦争終戦時は連合艦隊参謀。1950年、日本基督教団・堺大小路教会で受洗。本原稿は、淵田美津雄著「真珠湾からゴルゴダへ」(ともしび社、1954年)をもとに抜粋、編集。なお、デシーザー宣教師の証しは、「日本政府の爆撃手から日本の宣教師に」として、(「百万人の福音」いのちのことば社)95年8月号で紹介されたものです。映画「トラ・トラ・トラ」などでも歴史的人物として描かれている。 父よ、彼らを赦したまえ -真珠湾からゴルゴダへ いま私の胸に去来することは、私は祖国日本を愛し、火のような敵愾心(てきがいしん)を抱いて戦ってきたが、それはいわれなき憎悪(ぞうお)ではなかったか。祖国愛と見たなかに偏狭にして独善なものがなかったか。人類を、そして世界を理解することを忘れていたのではなかったのか。その祖国愛が、愛する民族をこの塗炭(とたん)の苦しみに追いやる始末になったのではなかった