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Brief history of Poland
1772年の中央ヨーロッパ 白−ポーランド王国; 緑−ロシア; 黄色−オーストリア; 紫−プロイセン 今日... 1772年の中央ヨーロッパ 白−ポーランド王国; 緑−ロシア; 黄色−オーストリア; 紫−プロイセン 今日の国境は赤で示されている。地名は今日のものである。 18世紀後半のポーランド王国という国は様々な点で、現在のポーランドとは異なっていた。 その領土は、現在我々がリトアニア、ベラルーシと呼んでいる部分の全て、及び今日のウクライナの約半分を含んでいた。一方、今日のポーランドの約半分はプロイセンに(ややラフにいえば−ドイツに)属していた。このポーランド王国のあった土地には古くから様々な宗教を信仰する様々な民族が住んでいた。 王国の西部と中央部には主としてカトリックのポーランド人が住んでいた。今日リトアニア共和国となっている地域にはカトリックのポーランド人とリトアニア人が住んでいた。東部地域にはビザンチンカトリックのルテニア人(今日のベラルーシとウクライナ)人及び数