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伊東忠太+中谷礼仁「アーキテクチュールの本義」
解題 本小論は、日本初の建築史家としてしられる伊東忠太(一八六七~一九五四)が明治二七年(一八九四... 解題 本小論は、日本初の建築史家としてしられる伊東忠太(一八六七~一九五四)が明治二七年(一八九四)に公表したものである。「造家学会(現日本建築学会)」(明治一九年創立)の「建築学会」への改名を望んだものである。当時同学会の機関誌は『建築雑誌』であり、ARCHITECTUREの訳語については「造家」「建築」とに分裂し、錯綜をきわめていた。それを伊東なりに整理しようとした意図が背景に潜んでいる。いずれにせよ日本におけるARCHITECTUREをめぐる概念規定の、本来的なずれを鮮烈に示すものであり、きわめて興味深い内容である。なお本論は、編集出版組織体アセテートにて発刊予定の英語版・アジア建築論のために、中谷が現代語訳したものである。 同論で伊東は、造家/建築の項目に学/術を掛け合わせたマトリックスで論を展開している。その結果、「造家」「建築」ともARCHITECTUREの真正の訳語足りえて