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哲学と時間 格闘するわけ
なぜ「時間」は人間にとって切実な問いなのだろうか。私は長い間「時間」の問題に取り組み、昨年その成... なぜ「時間」は人間にとって切実な問いなのだろうか。私は長い間「時間」の問題に取り組み、昨年その成果を拙著にまとめたが、この研究の過程で、哲学、自然科学、文学、言語学、心理学などの専門家、そしてそれ以外にもさまざまな職業の方々と「時間」について話したり、議論してきた。そこで感じたのは、「時間」という問題への関心の深さと広がりである。「時間」は、世の中に生きる誰もが関心を持たざるを得ないような謎に溢れている。 まず一番大きな理由は、我々一人一人がこの世界に生まれ、生き、そして死ぬという事実、すなわち人間の有限性にある。「過去」「現在」「未来」という名の時間とは、いったい何なのか。哲学で盛んに議論されているが、まだ決着をみていない。そのような時間が「実在する」のかどうかすら疑問に付されている(この問題は専門的には「マクタガートのパラドックス」と呼ばれる)。「過去」「現在」「未来」にはまともな定義