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ポストモダン:2
神や歴史や民族や伝統など、かつて「大きな物語」は人々を守ってくれた。悩みや迷いがあれば、自分が信... 神や歴史や民族や伝統など、かつて「大きな物語」は人々を守ってくれた。悩みや迷いがあれば、自分が信じる「大きな物語」に従っていれば、最低でも間違えることだけはなかった。 もちろんその時の「大きな物語」に従うことのできない、少数派の人々はいつでも存在した。全体からすると少数派の人々のことを「マイノリティ」と言う。多数派は「マジョリティ」と言う。 マイノリティは、ずっと「大きな物語」に苦しめられていた。「大きな物語」は自身に従わない、他の物語を排除しようとする。正しいか間違っているかなんて関係ない。「大きな物語」イコール「正しさ」なのだ。「大きな物語」はいつでもマジョリティの所有物だった。 そこへポストモダンが登場した。ポストモダンは「大きな物語」の終焉を論じる。ならば現在では「大きな物語」に苦しめられてきたマイノリティは、解放されたのだろうか。 そんなことはない。実は今でもマイノリティ