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白水社 :連載・エッセイ 温又柔「失われた『母国語』を求めて」 第3回 文字遊戯
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白水社 :連載・エッセイ 温又柔「失われた『母国語』を求めて」 第3回 文字遊戯
執筆者プロフィール 月がまるく満ちる秋、中華圏の人々は月餅と呼ばれるまんまるい煎餅を食べる。 今年... 執筆者プロフィール 月がまるく満ちる秋、中華圏の人々は月餅と呼ばれるまんまるい煎餅を食べる。 今年も食べたいなと思っていたら、父がちょうど、月餅を手土産に出張先の北京から戻ってきた。私が高校生の頃から父の出張は増えた。行先は台北だったり上海だったり。ここ数年は北京も多い。 満月には少し早かったけれど、北京帰りの父とともに、母の淹れる緑茶を啜りながら月餅を齧る。両親との会話で幾度となく出てくる「北京」という街の名は、ペキン、と呼ばれるときもあれば、Bei3jing1と中国語で響くこともある。ときおり、ペ- jing1、などという、日本語とも中国語ともつかない響きがまぎれこんだりもする。私は二人にたずねた。 「北京は、台湾語では何というの?」 「ペイキャア」。 初めて知った。私にとって台湾語は、なじみ深いはずが、時折こんなふうに、とても新鮮だ。 考えてみれば私は、音でしか台湾語を知