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白水社 :連載・エッセイ 今尾恵介「日本を定点観測する」 第21回 砂村新四郎さん、あなたが開拓した新田は今…… ─ 砂町
執筆者プロフィール ●砂村→砂町→ただの砂 城東区と深川区が終戦直後に合併したとき、隅田川の東にあるか... 執筆者プロフィール ●砂村→砂町→ただの砂 城東区と深川区が終戦直後に合併したとき、隅田川の東にあるからと「江東区」と名付けられたこの区は、今やちょっとした県庁所在地よりずっと大きな人口約45万を擁している。その区の南東部に目立つのが「砂」のつく町名だ。北砂、南砂、東砂、新砂の4種類であるが、このうち北砂と南砂は清洲橋通りを境に南北に広がり、荒川放水路に近い方は東砂、海岸の埋立地は新砂という具合に人工的に境界が引かれている。 このうち南砂の南の端にあるのが東京メトロ東西線の南砂町駅だ。駅に「町」が付いているのは旧町名が南砂町だったからで、不思議なことに昭和44年(1969)に駅が開業した2年前には町が外れてすでに「南砂」になっていたのだが、やはり馴染んだ町名ということで敢えて旧称を採用したのだろうか。 当時は住居表示法ができたばかりで、都市部の地名はブルドーザーで整地するかのような勢
2012/03/17 リンク