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1989年3月 - 山根ともおとの出会い::Colorful Pieces of Game
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1989年3月 - 山根ともおとの出会い::Colorful Pieces of Game
だから、当時の正確な記録ではない可能性はあるのは理解して欲しい。 さて、小峯君に「ファルコムを最近... だから、当時の正確な記録ではない可能性はあるのは理解して欲しい。 さて、小峯君に「ファルコムを最近辞めた、山根ともおってヤツがいるんだけどさ、そいつがイースの移植を岩崎がするって聞いて、会いたがってるんだけど、会えるかな?」 と聞かれた僕は、一も二もなく会うといった。 なにせイース1では「グラフィック」として一人で名前が載り、イースIIのオープニングを作り、原案に名前を並べている男だ。 つまり、設定のことを知っていて、かつ絵コンテが書けて、かつマップが書けて、ゲームの事がわかっている男だ。いるといないとで、全くゲームの出来が変わるのは明らかだった。 当時、僕は東高円寺に住んでおり、山根が住んでいたのは荻窪だった。近いので荻窪のバスロータリー側のJR入口で待ち合わせようという話になったのだが… 当日、これが待てど暮らせ来ない。 実に30分以上待って、あまりにおかしいので近くの公衆電話から小峯