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犬山高校のあゆみ 空襲のこと 昭和16年12月の日米開戦後、初めて、本格的な本土空襲が始まるのは昭... 犬山高校のあゆみ 空襲のこと 昭和16年12月の日米開戦後、初めて、本格的な本土空襲が始まるのは昭和19年11月です。 マリアナ諸島(サイパン、グアム)を基地として、直接本土までB29が飛来しました。 最初は航空機工場等の軍事施設をねらった空襲でしたが、昭和20年3月、東京大空襲からは 夜間低高度からの焼夷弾爆撃も併せて行われました。 昭和20年3月、東京大空襲の後、すぐ、名古屋も大空襲を受けました。 5月14日には、名古屋城が炎上します。 名古屋を中心として、航空産業が発達し、日本の航空産業の6割が尾張地方に固まっていました。 そのため、名古屋を中心として、空襲を受けたのです。 ここ犬山にも空襲がありました。 犬山は7月23日夜に、白山平(成田山の東側の丘陵地帯、東之宮古墳で有名です)一帯 に焼夷弾約300発が投下されました。 折から、瞬間的な豪雨が降り、被害は軽微でした。 また