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(8)第1部:解放50年式典が分裂した背景
【原著p49写真:インターフェイス・ピルグリメイジの集会(1994.12.7)】 【原著p50図版:アウシュビッ... 【原著p49写真:インターフェイス・ピルグリメイジの集会(1994.12.7)】 【原著p50図版:アウシュビッツ・ビルケナウ周辺略図】 【原著p52図版:1ビルケナウ収容所後のモニュメント】 【原著p50図版:2犠牲者数が「400万」から「約150万」に訂正された英語の碑文】 一九九五年一月二六日、『マルコ』廃刊決定の直前に開かれたアウシュヴィッツ現地の解放五〇周年記念式典は、戦後史上はじめてふたつに分裂していた。なぜだろうか。 ポーランドでの記念式典開始の前日、「ポーランド政府の姿勢にユダヤ人協会が反発するなど不協和音も顕在化」(産経95・1・25)しているというベルリン発の報道があった。「ユダヤ人の組織『国際アウシュヴィッツ委員会』のゴールドシュタイン氏が『ワレサ大統領はアウシュヴィッツ虐殺のポーランド化を狙っている』と非難」しているというのだ。 結果として、「二十六日午後、ポーラン