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読者の皆様へ、本ブログの今後の予定について3 藤原不比等が残したもの、過去、現在、未来 | 日本語の意外な歴史
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読者の皆様へ、本ブログの今後の予定について3 藤原不比等が残したもの、過去、現在、未来 | 日本語の意外な歴史
梅原猛氏、上山春平氏、大山誠一氏らの研究によって浮かび上がってきた藤原不比等の存在は、日本の歴史... 梅原猛氏、上山春平氏、大山誠一氏らの研究によって浮かび上がってきた藤原不比等の存在は、日本の歴史を考えるうえで非常に重要で、本ブログでも大きく取り上げます。 前回の記事でお話ししたように、藤原不比等は、天武天皇の後を継いだ持統天皇の時代に頭角を現します。 当時は、中国の法体系を見習った日本の法体系を作っている時期でした。この法体系またはそれに基づく国の体制は、律令制(りつりょうせい)と呼ばれます。中国の「律」(刑法)と「令」(行政法その他)から来ています。 日本の律令制を確立する作業の中心にいたのが、藤原不比等でした。従来は、藤原不比等といえば、この律令制を確立した政治家というイメージでした。しかし、梅原氏、上山氏、大山氏らの研究によって、そのイメージが変わってきました。 上山氏が当時の中国の政治体制と日本の政治体制をわかりやすく比較しています(上山1985)。確かに、日本は中国の法体系を