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河北新報ニュース 多賀城 地名の由来は中華思想 国歴博館長が新説
古代に国府が置かれた「多賀城」の名の由来は、自らが最も進んだ民族で周辺諸国は遅れているとする中華... 古代に国府が置かれた「多賀城」の名の由来は、自らが最も進んだ民族で周辺諸国は遅れているとする中華思想の影響を受けていると、国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の平川南館長(65)が独自の新説を唱えている。宮城県多賀城市教委によると、名前の起源はこれまで謎とされており、画期的な考察という。4日に市文化センターである講演会「歴史の宝庫―多賀城」(多賀城市など主催)で平川館長が発表する。 平川館長は、古代に多賀城と同じく“遠の朝廷(とおのみかど)”と称された大宰府(現在の福岡県太宰府市)の由来が、かつての中国の官名であることなどに着目。古代中国の鏡に、異民族を平定し国家の安寧を願う銘文があり、その中の「多賀国家人民息」の文字から命名されたとみている。 「東北地方の行政、軍事全般を統括し、蝦夷(えみし)対策の拠点となった多賀城も中華思想に基づいて命名されたと理解できる」と平川館長。古代東北の胆沢
2008/10/14 リンク