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暴走する「愛」と「正義感」‐鈴木邦男の愛国問答‐マガジン9
僕も昔は、「愛国無罪」だった。中国の反日デモをテレビで見ながら、そう思った。愛国心に発した行動は... 僕も昔は、「愛国無罪」だった。中国の反日デモをテレビで見ながら、そう思った。愛国心に発した行動は何をやっても許される。無罪だ。と思っていた。「この国を守る」という大前提がある。この国を危うくするものは排除する。それだけだ。この国を、きれいに保ち、守りたい。そこに付いた汚れやゴミを拭き取り、掃除し、排除する。いわば、クリーニングするのだ。掃除に少々力が必要だとしても、掃除そのものは<善>だ。罪に問われることはない。そう思っていた。そう思って長い間、右翼運動をやってきた。 たとえば、好きな女性がいたとする。彼女の服に糸クズが付いていたら、取ってやるだろう。道路を歩く時は、自分が車道側に立って彼女を守ってやるだろう。<愛>だ。国に対する愛も同じだ。時には命を賭けても守ろうとする。それで、トラブルになることもある。法律に違反することもある。でも、愛ゆえの「自衛」だ。罪に問われることはない。 万が一
2012/10/19 リンク