エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
陸奥新報WWW-NEWS JR五能線全線開通70周年企画(7) 駅長 たくさんの出会い財産
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
陸奥新報WWW-NEWS JR五能線全線開通70周年企画(7) 駅長 たくさんの出会い財産
1985年3月、つがる市木造に住む葛西賢造さん(77)は鯵ケ沢駅長を退職した。旧国鉄に入り、木造... 1985年3月、つがる市木造に住む葛西賢造さん(77)は鯵ケ沢駅長を退職した。旧国鉄に入り、木造、森田、川部などの五能線沿線の駅に勤務して40年余。利用する多くの人ともかかわってきた。 戦時中、少年航空兵を志していた葛西さんは、徴兵検査で視力の低下を指摘され、やむなくその夢をあきらめた。当時は食糧事情が悪く、視力低下も栄養不足が原因だった。父を早くに亡くし、母と幼い弟、妹の面倒を見なければいけない葛西さんは、当時の国鉄に入り、地元の木造駅に配属された。 44年3月、向陽尋常小学校の卒業式が終わると、木造駅長から「あさってから来てくれ」と言われ、慌ただしく駅の勤務が始まった。初日にお茶を入れたが、「当時の井戸水は水質が悪く、真っ赤な色のお茶を出してひどく怒られたものだった」(葛西さん)。 葛西さんには今も忘れられない当時の思い出がある。49年の夏の夜だった。埼玉から来た婦人が木造駅の待