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適応の一助としての萌え(汎適所属)
以前私は、“萌え”の自己愛的・自慰的営みとしての側面について書いた。しかし自己愛的だとか自慰的と書... 以前私は、“萌え”の自己愛的・自慰的営みとしての側面について書いた。しかし自己愛的だとか自慰的と書くと、現代語の修辞上、なにかろくでもないことのように読めてしまいそうだが、この修辞通り“萌え”はいけないものとして捉えるべきだろうか?例えばリアル恋愛を強制したりする事によって“正しく”矯正されるべきなのかについて、このテキストでは私見を述べる。また、萌えに突き進むにあたって要求されそうなものについても考えてみたい。これらを踏まえて、最終的には、脱オタだけが適応を促進するわけではなく、“萌え”が適応を促進させる(それも中~長期的に)可能性を検討してみたい。 ・そもそも、萌えは罰せられるべき存在なのか。危険な営みなのか。 自己愛的営み・自慰的営みという表現は、ちょっと誤解・誤読を招きそうな表現だが、そうでなくても、 “萌え”というのは後ろ暗い事と捉える風潮はまだ強い。(関連:不当なオタク趣味叩き
2007/07/20 リンク