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pdf - 「やくざ映画」における「在日」観(梁仁實 2002)
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pdf - 「やくざ映画」における「在日」観(梁仁實 2002)
第 38 巻第2号 『立命館産業社会論集』 2002 年9月 113 「やくざ映画」における「在日」観 梁 仁實... 第 38 巻第2号 『立命館産業社会論集』 2002 年9月 113 「やくざ映画」における「在日」観 梁 仁實* 戦後日本の「やくざ映画」には数多くの「在日」が登場してきた。主に 1960 年代,1970 年代を中心 に大衆文化の一つとして人気を得ていた「やくざ映画」において,善/悪の二項対立を軸に話が展開 され, 「内なる他者」なる「在日」に「悪」の役が設定された。しかし, 『男の顔は履歴書』 (66)にみ られる共生の試みや 1970 年代の「やくざ映画」に登場する「在日」二世の自分の出自を捜し求めよう とする姿などをみると,表面的な「悪」のイメージだけでは説明しきれない側面がある。本稿では 「日本的オリエンタリズム」の視点を取り入れ, 「やくざ映画」における「在日」観を検討し,そのま なざしがどのようなものであったかを明らかにした。 キーワード:日本的オリエンタリズ