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高森顕徹先生と親鸞会の50年・親鸞会結成以前「ハッキリ答える布教使がいない」(石川県)|親鸞会結成50周年
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高森顕徹先生と親鸞会の50年・親鸞会結成以前「ハッキリ答える布教使がいない」(石川県)|親鸞会結成50周年
高森顕徹先生と親鸞会の50年 親鸞会結成以前(石川県) Kさん(石川県) ハッキリ答える布教使がいな... 高森顕徹先生と親鸞会の50年 親鸞会結成以前(石川県) Kさん(石川県) ハッキリ答える布教使がいない 昭和8年、東京に生まれた私は、戦争のただ中で育ちました。「死んで護国の鬼となれ」との教育を受け、小学校で射撃や手榴弾を投げる練習をし、切腹の作法も習いました。 近所の人も赤紙で出征し、次々に亡くなっていきます。米軍の空襲にも遭い、爆弾がいつ振りかかってくるか分からないと感じました。空爆から逃れても、やがては自分も出陣し、戦死する。死んだらどうなるか、真剣に考えずにおれません。 地獄・極楽は有るのか無いのか、毎日のように友人と言い合いましたが、結論が出るはずもありませんでした。小学生ながら、 「寺に聞いたら、答えが分かるかもしれない」 と思い、東京には少ない真宗寺院を、やっと一軒探し当てました。しかし、出てきた坊守(住職の妻)は、 「一生懸命、学校の勉強をしなさい」 と言うばかり