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TINAMIX
・『りぼん』の変遷 恋愛少女マンガを一般化したのは、70年代半ばに流行した「乙女チック」だとされてい... ・『りぼん』の変遷 恋愛少女マンガを一般化したのは、70年代半ばに流行した「乙女チック」だとされている。いわゆる「乙女チック」とは、ふつう『りぼん』誌上で看板を張っていた、陸奥A子、田渕由美子、太刀掛秀子の3人を指す。当時『りぼん』誌上で「乙女チック」という称号が与えられていたのは陸奥A子だけだったが、歴史上、3人をまとめて乙女チックと呼ぶ慣行となっている。私は、3人のイニシャルを採ってMTTと呼ぶことにする。このMTTが絶大なる人気を保ったのは、1976年〜1981年の6年間であった。人気の指標として『りぼん』本誌の表紙にイラストを描いた回数と巻頭に登場した回数をカウントし、それを図示したものがグラフ1とグラフ2である。緑の部分がMTTを表している。宮台真司は乙女チックが1977年に衰退したとしているが、この見解は『りぼん』の表紙や巻頭登場数の統計データからは支持できない。むしろ1977