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東京新聞:これからの働き方:考える広場(TOKYO Web)
二十八歳で起業して四十余年。楽しく仕事してきました。バス二、三台の従業員数のころが一番楽しかった... 二十八歳で起業して四十余年。楽しく仕事してきました。バス二、三台の従業員数のころが一番楽しかったかなあ。一緒に旅行して、全員の名前覚えて、家族のことも知って、家に社員を呼んでご飯食べて…。つらかったら続きませんよ。幸い大病は一回もありませんでした。 楽しかったけど、楽ではありませんでした。サラリーマン時代「三十五歳で独立」と決めました。資本金が二千万円は必要だろうと考え、本給とボーナスには手を付けずに全部貯金。残業代だけで生活しました。七年早まったのは、前の会社の株券で収入があったからです。 社員四人の零細企業が大会社に勝たねばならない。生命保険を担保に、銀行から借金しました。起業に反対だった母親は「人の二倍働け」と折れました。他社より有利な点は皆無だったけど「一日二十四時間」だけは平等。母親の言うことにも一理あるなと思いました。倍の時間働いて成功しなかったらギブアップだと誓い、最初は一日
2017/01/17 リンク