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東京新聞:戦中に軍事技術者育成 東大「第二工学部」消滅へ:社会(TOKYO Web)
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東京新聞:戦中に軍事技術者育成 東大「第二工学部」消滅へ:社会(TOKYO Web)
東京大学は、生産技術研究所の実験所として使う千葉市稲毛区のキャンパスを閉鎖し、来年度から柏キャン... 東京大学は、生産技術研究所の実験所として使う千葉市稲毛区のキャンパスを閉鎖し、来年度から柏キャンパス(千葉県柏市)に移転を始める。実験所は太平洋戦争中に軍需産業の技術者育成を目的に設立した「第二工学部」が前身。「幻の戦犯学部」ともいわれた施設が完全に姿を消す。 第二工学部は一九四二年四月、軍部の後押しを受け開学。入学者は東京・本郷の第一工学部と機械的に振り分けられた。学生は戦時中、戦闘機や兵器なども研究。終戦後、廃止論が高まり、生産研に衣替えする形で五一年に閉鎖された。 約二千五百人の卒業生の多くが、高い技術と実践能力で戦後日本の高度成長を支えた。国産コンピューターの開発に取り組み、富士通の「中興の祖」といわれた山本卓真(たくま)元会長(故人)も卒業生。教授陣には、ペンシルロケットを開発し「日本の宇宙開発の父」と呼ばれた糸川英夫氏もいた。