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ワタ艦
図は1943年7月の大和です。ただし武蔵との違いは、ラッタル(赤)の部分のみで、この時期の艦橋構造物に関... 図は1943年7月の大和です。ただし武蔵との違いは、ラッタル(赤)の部分のみで、この時期の艦橋構造物に関しては大和も武蔵も殆ど違いがありません。1943年5月の入渠時の改装により、第一艦橋付近にあった空中線支柱や信号指揮所(いずれも黄色)は移設され、18cm海上見張用眼鏡のスポンソン(紫色)は拡大されました。武蔵では以上の変更を竣工時に行っています。また15m測距儀の上には21号電探(緑色)が装備されました。先の説明にもありましたが、武蔵では1942年9月に装備済みです。艦橋部の22号電探(水色)は大和が1943年5月、武蔵は1943年7月に装備しましたが、その後(大和が1944年3月、武蔵は1944年4月)18cm海上見張用眼鏡のスポンソン(紫色)の直下に移動されました。大和、武蔵とも1943年5月と7月の工事で信号所甲板(白)は後部に2m程拡張されたと言われてます。艦舷の艦窓(水色)は
2013/10/04 リンク