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『アゲインスト・リテラシー』 大山エンリコイサム著 評・青木淳(建築家) : 本よみうり堂 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
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『アゲインスト・リテラシー』 大山エンリコイサム著 評・青木淳(建築家) : 本よみうり堂 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
落書きが示す「境界」 かつて通りは、思いがけない遊びが生まれる原っぱのような場所だった。 縄跳び、... 落書きが示す「境界」 かつて通りは、思いがけない遊びが生まれる原っぱのような場所だった。 縄跳び、ローラースケート、コマ回し、チョークの落書き。それが戦後、歩く人のためから自動車のための空間に町が変貌するにつれ、通りから、遊びが追い出され、ついには禁止されるようになった。 今世紀に入ってからは、監視カメラが町中に設置されるようになった。いまや町は、人々の安全と引き換えに、すべて見られていることを前提に振る舞わなくてはならない窮屈な空間だ。 こうして見ると、さまざまな側面から寛容さが失われていくのが、どうも公共空間の歴史らしい。その許されることと許されないことの境目にあるのがグラフィティ、という指摘に、なるほど、と思った。グラフィティとは、町への落書きのこと。日本にも至るところにある。もちろん違法行為だから、取り締まりの対象だ。しかし、それは結果として、合法と違法の境界、隠れていることと見ら