エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント1件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
法隆寺で「鵤寺」墨書土器 橿原考古研発掘 : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
◇奈良期呼称 遺物で裏付け 斑鳩町の法隆寺で、寺の別名「鵤(いかるが)寺」が底に記された奈良時代後... ◇奈良期呼称 遺物で裏付け 斑鳩町の法隆寺で、寺の別名「鵤(いかるが)寺」が底に記された奈良時代後半の墨書土器が、県立橿原考古学研究所の発掘調査で出土した。鵤寺の名は文献などでは知られていたが、出土遺物で裏付けられたのは初めて。同研究所付属博物館で19日から始まる速報展で、県内38遺跡の遺物など386点とあわせて公開する。(早川保夫) 聖徳太子の斑鳩宮跡にある法隆寺塔頭(たっちゅう)を2012~13年に発掘して確認した。飲食用とみられる8世紀後半の須恵器で、口径14・8センチ、高さ4・4センチ。同宮跡では奈良時代に夢殿(国宝)などからなる東院伽藍(がらん)が整備されており、同博物館の担当者は「奈良時代の法隆寺が、実際に『鵤寺』の呼称を使っていたことを示す発見」と話している。 邪馬台国の有力候補地・桜井市の纒向遺跡では、西側で多数の土器が出土し、東海地方の土器をまねたとみられる形もあった。広
2014/07/21 リンク