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武家家伝_柳生氏
柳生氏といえば、石舟斎宗巌、但馬守宗矩など剣豪を輩出した剣の一族として知られる。 そもそも柳生氏が... 柳生氏といえば、石舟斎宗巌、但馬守宗矩など剣豪を輩出した剣の一族として知られる。 そもそも柳生氏が名字とした柳生は大和国添上郡の一郷で、四方を山に囲まれた南北に細長い大和国最北端に位置する山里である。「柳生」は、楊生、夜岐布、夜支布、養父などとも書かれ、いずれも「やぎう」と読む。 柳生氏の登場 古代の柳生郷のことは明らかではないが、柳生家の家譜である『玉栄拾遺』によれば、仁和元年(885)に大柳生庄・坂原庄・邑地庄・小柳生庄の神戸四箇郷が関白藤原基経の所領となったとある。以後、藤原氏の荘園となっていたが、長暦二年(1038)、宇治関白頼道が四箇郷を藤原氏の氏神である春日神社に社領として寄進した。そして、大柳生庄は右京利平、坂原庄は左京基経、邑地庄は修理包平、小柳生庄は大膳永家をそれぞれ荘官に任じて神領を奉行させた。このなかの小柳生がのちの柳生で、永家の末がこの地を領し、庄名をとって柳生と名
2007/07/04 リンク