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竪穴式住居 (webやぎの目)
きょうは飲まない日 --- 実家(練馬区)の近くに城北公園という公園があった。なかには遺跡があって、そ... きょうは飲まない日 --- 実家(練馬区)の近くに城北公園という公園があった。なかには遺跡があって、そこから出てきたという竪穴式住居が復元されていた(栗原遺跡)。 家の近所にそんな歴史的なものがあるなんて中学生の僕はすこし誇らしく思っていた。 きょうたまたま知ったのだが、その竪穴式住居は奈良時代のものだった。縄文とか弥生じゃないのだ。奈良時代、都では万葉集を作ったり、遣唐使が海を渡ったりしていた時代である。 その時代、練馬ではまだワラみたいな家に住んでウホウホ言っていたのだ。いったいどんなところだったのか。たぶん裸だろう。 子どものころ、練馬は畑だらけでやぼったいなーとぼんやり思っていたが、1300年前、竪穴式住居に住んでる人も同じこと思っていただろう。 なんかおれんち原始人みたいじゃねえか?と。