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一知半解なれども一筆言上 ソマリア海賊問題から「海上秩序の傘」について考える
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一知半解なれども一筆言上 ソマリア海賊問題から「海上秩序の傘」について考える
最近、ソマリア海賊問題巡る論争を眺めていて、ふと思い出したのが、以前読んだ山本七平のコラム。 探し... 最近、ソマリア海賊問題巡る論争を眺めていて、ふと思い出したのが、以前読んだ山本七平のコラム。 探してみたら、「『常識』の研究」の中にありましたので、今日は、そのコラムを紹介していきます。 ◆海上秩序の傘 「核の傘」という言葉があり、この言葉が何を意味しているかは多くの人はすでに知っているであろう。 しかし、この言葉がジャーナリズムに登場する以前には、人びとは「核の傘」の下にいて、そこで生活しているという意識はなかったに等しい。 それはいわば、空気のように意識されなかったもので、それが意識され出したのは、むしろ「核の傘」の威力がうすれて、それが本当にあるのかどうか疑わしくなってきてからのことである。 「非武装中立論」に代表される「核の傘」の下の平和論は、「核の傘があるから……」を無言の前提としていたわけで、それは、その首唱者がそれを意識しようと意識しまいと、また意識しつつ隠していようと、現実