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近代に関するfumiruiのブックマーク (7)

  • 戦時中、鎌倉市にあった極秘施設「大船収容所」ってどんなところ? - はまれぽ.com 神奈川県の地域情報サイト

    ココがキニナル! 国際法上機密にしていたことで、日史的にもほとんど知られていない大船収容所について知りたいです。米兵の捕虜収容所として栄区に隣接する鎌倉市玉縄にあったそうです(栄区かまくらさん) はまれぽ調査結果! 戦時中海軍が捕虜からの情報を聞き出すために作った尋問所。正規の捕虜収容所ではない国際法上の違法な存在であったため、戦後関係者が重く処罰された 鎌倉の山間にあった秘密の捕虜収容所 大船に捕虜収容所があったという。地図で見ると鎌倉市内陸部の山に囲まれたあたりにあったようだが、その理由はなぜなのだろうか? 投稿のように機密の存在であったことと関係があるのだろうか? まずは現地に向かった。 大船収容所があったのは鎌倉市植木(青矢印、Googlemapより) JR大船駅南口を降り、柏尾川を南下ししばらくして右折すると、トンネルの先に室町時代に北条早雲(ほうじょう・そううん)が築いたとさ

    戦時中、鎌倉市にあった極秘施設「大船収容所」ってどんなところ? - はまれぽ.com 神奈川県の地域情報サイト
  • ルイ17世は本当に「虐待」を受けたのか? 検証途中まとめー日本語版Wikipediaの情報の不確かさとネタの伝播スピードの恐ろしさについてー

    y ( ● ω ● ) k @ykcavecanem トレンドに「ルイ17世」。何かと思ったら日語のウィキペディアで、どうやら彼がうけた(とされる)虐待についての記述が加筆されたようなんだけど、ソースがおそらくきちんと史料とか使ってなさそうなだなと思ったら何かやっぱりうさんくさい。とりま同じくあやしい英語のウィキペディアみたら 2018-03-21 19:34:53 y ( ● ω ● ) k @ykcavecanem 彼の虐待についての記述は実は裏付けがなくて王政復古期に盛られたものだと書いてあった。ウィキペディアの記述が恐ろしいと騒ぎになってるけど、前時代の歴史が改ざんされることとか、このトレンド見に行ったらだから左派とか革命はダメ、みたいな単純なものとかけっこうあったこととか、何だかなと… 2018-03-21 19:38:30

    ルイ17世は本当に「虐待」を受けたのか? 検証途中まとめー日本語版Wikipediaの情報の不確かさとネタの伝播スピードの恐ろしさについてー
  • ハーバード大が授業で取り上げる「堀直虎」とはどんな人物か

    1970年兵庫県生まれ。1992年東京大学教養学部卒業後、NHK入局。ディレクターとして報道番組、音楽番組を制作。 2001年米コロンビア大学経営大学院修了(MBA)。ボストンコンサルティンググループ、外資系テレビ局などを経て、2012年、作家/コンサルタントとして独立。主な著者に『ハーバードでいちばん人気の国・日』(PHP新書)、「スタンフォードでいちばん人気の授業」(幻冬舎)、『ハーバードはなぜ日の「基」を大事にするのか』(日経プレミアシリーズ)など。BIPROGY(旧・日ユニシス)株式会社社外取締役。佐藤智恵オフィシャルサイトはこちら ハーバードの知性に学ぶ「日論」 佐藤智恵 世界に数多くのスーパーエリートを輩出してきたハーバードビジネススクール。その授業では、「日」が教材となることも少なくないという。この連載では、作家・コンサルタントとして活躍する佐藤智恵さんがハーバー

    ハーバード大が授業で取り上げる「堀直虎」とはどんな人物か
  • 徳川慶喜を批判 渋沢栄一の草稿発見 | NHKニュース

    明治時代の実業家、渋沢栄一が明治維新期に江戸幕府の最後の将軍だった徳川慶喜に対して書いた書簡の草稿が見つかり、「鳥羽伏見の戦い」での慶喜の姿勢を強烈に批判するなど若き渋沢の心情を知る貴重な資料として注目されています。 草稿は、幕末にパリ万博に派遣された徳川慶喜の弟の昭武から慶喜に宛ててパリで書かれたもので、近代の日経済の礎を築いた渋沢栄一は、20代だった当時、使節団の一員として昭武に仕えていました。 渋沢は後年、昭武名義で慶喜に宛てた書簡の下書きを書いたと回想録で語っていて、渋沢史料館や研究者は筆跡などから今回、発見された草稿は渋沢が書いた下書きだと見ています。 幕末・維新史に詳しい聖徳大学の大庭邦彦教授は、「当時、徳川家の家臣だった渋沢栄一が慶喜を批判する資料があったとは驚きだ。渋沢が回想で語っていた実物の資料だと考えられ、大変、貴重な資料だ」と話しています。

  • 「月にはコウモリ人間やビーバーがいる」1835年、新聞記事から広まった天文学的デマ : カラパイア

    1835年8月25日、大きな声の新聞売りの前で立ち止まりニューヨーク・サン紙を購入した読者は、まんまと担がれることになった。 一面の4分の1に掲載された記事は、権威あるエディンバラ・ジャーナル・オブ・サイエンス誌からの抜粋であると書かれていた。それによれば、南アフリカの奥地で著名な天文学者ジョン・ハーシェルが大発見をしたのだという。 月に生き物がいるのというのだ。それも大量に。植物が生い茂り、後ろ足で立つビーバー、一角のヤギ、さらにはコウモリのような人間まで発見されたという。 それから5日間というもの、7トンあるという最先端の望遠鏡でハーシェルが発見した月の最新情報に読者は釘付けとなった。月の観察からは、色とりどりの花々や、荘厳なる寺院、空を飛ぶ人型生物などが発見された。

    「月にはコウモリ人間やビーバーがいる」1835年、新聞記事から広まった天文学的デマ : カラパイア
  • 河口慧海のチベット脱出日記発見 明治時代に仏典求め潜入 - 共同通信 47NEWS

    明治時代に日人として初めて鎖国状態のチベットに潜入し、著作「西蔵旅行記」を残した堺市出身の僧侶河口慧海(1866~1945年)が、チベットを脱出した際の困難な体験を記した日記が、東京都世田谷区の親族宅で見つかった。堺市が26日、発表した。 今年は慧海の生誕150周年。日記は堺市博物館で10月26日から12月4日まで一般公開される。 市によると、西蔵旅行記に脱出時の記載があり、日記はこれを裏付ける内容。仏典を学ぶため当時の首都ラサに滞在していた1902年1月から、密入国が発覚することを恐れてインドのダージリンに逃れた後の同8月までが記載されている。

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  • 新選組、斎藤一の写真見つかる 震災や戦災逃れ子孫に - 共同通信 47NEWS

    新選組の幹部として活動した斎藤一(提供写真)  江戸時代末期に反幕派を取り締まった新選組の幹部として活動し、明治維新後も生き残った斎藤一について、明治30年の1897年にや息子2人と共に撮影した写真が残されていたことが15日、歴史研究家のあさくらゆうさん(47)や子孫らへの取材で分かった。 斎藤は残された史料や写真が非常に少なく謎が多い人物とされており、これほど鮮明な写真が見つかるのは珍しい。 維新後に藤田五郎と名乗った斎藤を巡っては、西南戦争で政府側に従軍し、警視庁にも勤務したことなどを示す恩給関係の史料が国立公文書館に保管されていたことが昨年判明している。

    新選組、斎藤一の写真見つかる 震災や戦災逃れ子孫に - 共同通信 47NEWS
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