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小林秀雄と日本に関するfunaki_naotoのブックマーク (6)

  • 992夜『本居宣長』小林秀雄|松岡正剛の千夜千冊

    先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

    992夜『本居宣長』小林秀雄|松岡正剛の千夜千冊
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    funaki_naoto
    funaki_naoto 2009/04/17
    「哲学する前に生活しなければならない」
  • [書評]小林秀雄の恵み(橋本治): 極東ブログ

    治は直感から質をさらっと言ってのける頭の良さをもった人で、その直感から言い切りまでのプロセスを文章にするため冗長な印象もあるが、出てきた表明はコピーライティングのようにわかりやすいし、白黒つけやすい明快さがある。小林秀雄も直感から表出のプロセスを迂回して語る癖があり、表出も短く刈り込まれているため「人生の鍛錬 小林秀雄の言葉」(参照)のように断片的に理解しやすいところがある。だがそんなものは無意味で、依然小林秀雄の文学の全体を読めばその表明は白黒つけがたく明晰さには迷路の複雑さがある。体力というのでもないのだが思念の持久力のようなものがないととても読み切れない。 思念の持久力というものがどのようなのかというのは、「極東ブログ: [書評]小林秀雄の流儀(山七平)」(参照)で触れた山の論考が参考になるだろう。小林がどれほど聖書を読み抜き、パウロを心に秘めていたか、そこを読み解くことの

    funaki_naoto
    funaki_naoto 2008/02/22
    「お前は小林教を信じるのかと問われているに等しい」「私の人生が日本人の、日本語の情というものによって成り立っている根底的な限界の意味を受容する他はない」
  • 赤紙 - finalventの日記

    という言葉をとんと見かけなくなったし聞かなくなった。現物のリアリティを知る人が少なくなったからだろう。 すでに昭和40年代ぐらいから戦争が神話化していたように思う。赤紙=徴兵、というシンボルに直結していた。しかし、実際に諸処赤紙に触れた人のリアリティは奇妙な重層性があった。もちろん、戦争反対・賛成といった二極の直線的なものではないのだが、昨今の議論とかそいう一次元的な話が多すぎだな。私がネットウヨ?とかさ。 今の全共闘世代がハイティーンだったころ、その上の世代のべた左翼に誘導されて、「どうしてお父さんたちの世代は戦争に反対しなかったのですかぁ!」みたいな声を上げていた。戦中派のお父さんたちは答えられなかった。その答えられなさかげんを子供の私は見ていて、ああ若者ってバーカだなと思った。あんなバーカな若者になるのはいやだなと思った。つまり、全共闘世代みたいになるのだけはごめんだな、と。 小林秀

    赤紙 - finalventの日記
    funaki_naoto
    funaki_naoto 2007/08/26
    「文学者として戦争なんかしない。戦争は兵卒がするものだ/彼は悲劇の意味を、偉そうに文学だの哲学だと語るやつらは、知らないという/それが正しいというときの正しさはどのような公理から生み出されているのか?」
  • 1970年11月25日三島由紀夫自殺: 極東ブログ

    11月25日といえば、三島由紀夫が自殺した日だ。そう言ってみて、自分でもふと戸惑うのだが、「自決」とも「割腹」とも言いづらい。確かに思想的に見れば、「自決」だろう。世の中、三島の死に「自決」を冠するのは思想的な意味合いを見ているからに違いない。あの日、佐藤栄作はたしか「気違い」と言っていた(ATOKは「気違い」を変換しないので登録した)。それからしばらくして、そのことを誰だったか、小林秀雄にご注進したやつがいたらしい。その気持ちはわからないでもない。小林ならなんというか聞きたかったのだろう。小林は簡素だが、三島に非礼なき返答したと記憶している。このことは、江藤淳もひかかっていたらしく、のちに対談で小林に問うている(「歴史について」S46.7「諸君」)。 小林 (前略)宣長と徂徠とは見かけはまるで違った仕事をしたのですが、その思想家としての徹底性と純粋性では実によくにた気象をもった人なのだね

    funaki_naoto
    funaki_naoto 2006/10/09
    「気違いでもなんでもない。外国人にはわかるまい。あれが日本の歴史というものであり、思想家の徹底性と純粋性の帰結なのだ」「日本というものが深く私に問いかけてきている」
  • 「三島由紀夫の沈黙」伊藤勝彦氏著から:江藤淳論 - dazaiyukioの日記

    「三島由紀夫」氏のいわゆる割腹自殺:市ヶ谷駐屯地事件について, 小林秀雄氏と江藤淳氏が,議論を戦わせているので,それを抜書きしてみる。 昭和46年7月「諸君」誌上。 小林 「三島君の悲劇も日しか起きえないものでしょう。外国人にはなかなかわからない事件でしょう」 江藤 「三島事件は三島さんに早い老年が来たというもんじゃないですか?」 小林 「いや,それは違うでしょう」 江藤 「じゃああれはなんですか?老年と言ってあたらなければ一種の病気でしょう」 小林 「あなた, 病気と言うけどな,日歴史を病気と言うか?(中略),それなら吉田松蔭は病気か?」 江藤 「日歴史を病気とは言いなせんけども,三島のあれは病気でなくて,もっと他に意味があるのですか?」 小林 「いやぁ,そんなこというけどな。それなら,吉田松蔭も病気か?」 江藤 「吉田松蔭と三島由紀夫は違うんじゃありませんか?」 小林 「日

    「三島由紀夫の沈黙」伊藤勝彦氏著から:江藤淳論 - dazaiyukioの日記
    funaki_naoto
    funaki_naoto 2006/06/04
    「合理的なものは,何もありません。ああいうことがあそこで起ったということですよ」
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