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2007年2月18日のブックマーク (9件)

  • 関西人250人に聞きました。「やが」という関西弁はほとんど使われてないんやけど。[絵文録ことのは]2007/02/18

    いわゆる関西弁の特徴の一つとして、断定の「だ」が「や」になるというものがある。「そうだ」→「そうや」、「なぜだ」→「なんでや」といった具合である。これで関西風の表記になりそうや。 しかし、どうにも違和感があったのが、たとえば雑誌に載っているダウンタウン松の連載記事の中で、もちろんいつもの松の言葉に近いのだが、←今ここで使ったような「だが」を「やが」と書いていることがあったりする。それ以外にも、雑誌やスポーツ紙などで使われるメディア関西弁では「だが」が「やが」と書かれていることが非常に多い。 そして、関西弁風のブログなどでも「やが」という言葉が使われていることがある。 ところが、自分は「やが」という言葉を使ったことがないのである。「近いんやけど」とは言っても「近いんやが」とは絶対に言わない。そのため、「やが」というのは関西弁もどきの書き言葉ではないかと考えた。 そこで、人力検索はてなで簡

  • [書評]〈つまずき〉のなかの哲学(山内志朗): 極東ブログ

    以前は人に勧められたをよく読んだし、そうしたことで自分の視野の狭さを知るきっかけとなったものだが、いつからかそういうことが減ってきた。書「〈つまずき〉のなかの哲学」(参照)は、久しぶりにそうした契機で読んだものだ。一読して、なるほどな、私に勧めたくなるだな、ということがよくわかった(ありがとう)。「私」とは何か、人生とは何か、そういうものに私は今四十九歳までぶつかり続けた。これからもそうだろうが。 筆者山内志朗については私は知らなかったが一九五七年生まれとのことで私と同年である。もしかしたら過去のネット世界のどこかでハンドルとハンドルで遭遇していたかもしれないと思った。 書は率直に言うと私には読みにくいだった。理由は私にある。私が思考の柔軟性を失いつつあり、哲学書に対してまず哲学史的な特定の枠組みを求めてしまうことと、また、書で多く言及されているヴィトゲンシュタインについて顕著

  • WEBダ・ヴィンチ

    WEB Davinci Last update 20 Jun,2004. WuƂɂ͏cDɊ҂BvԊO WuguKN̍hɕqȕ|͂ǂꂾHvԊO eWB fڎ҂ɂ͒IŐ}v[gI ̃v`i{ 6/5UP cȐ̖{oł�Â錻݁A ̒{ɂ낢{ɏo̂͂ȂȂނB vĂǎ҂݂̂ȂɁA_EB`ҏW Acホテル東京銀座 東京都 Anaインターコンチネンタルホテル東京 東京都 Bulgari Hotel 東京都 The Aoyama Grand Hotel 東京都 THE GATE HOTEL 東京 by HULIC 東京都 ウェスティンホテル東京 東京都 キンプトン 新宿東京 東京都 グランドプリンスホテル新高輪 東京都 ザ・キタノホテル東京 東京都 ザ・キャピトルホテル東急 東京都 ザ・プリンスギャラリー 東京紀尾井町, ラグジュアリーコレクションホテル 東京都 シェラトン・グランデ・トーキョーベイ・ホ

  • 好奇字展

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  • カリルラボ

    カリルラボ パスワード

  • ろう者で日本人で・・・ : No.032 ■ろう者は漢字が大好き

    ろう者はカタカナが大嫌いである。外来語をすぐにカタカナにするのでなく和製語にしろ!とカタカナの氾濫に怒るろう者が結構たくさんいる。意外に思われるかもしれないがろう者は漢字が好きである。 誤解しないで欲しい。平均的な日人より難解な漢字を知っているろう者が多い、ということを言っているのではない。 私の父は日語があまりできない。父は昭和8年(1933年)生まれ。学童期は太平洋戦争の真っ最中。聾学校の集団疎開、畑や山にかりだされ、授業はまともに受けていない。手話は生活言語として習得した。日語の読み書きは聾学校時代にでなく、住み込みをしていてときに手話のできるすぐ下の妹(聴者)から必要最低限のことを教えてもらったという。 父はスポーツ新聞を読む。父は活字を拾い読みしつつ文を読む。複雑な構文の時は飛ばし読みをしているようだ。(私が不得手とする英語の文を読んでいるときの感じに似ているかも。あるいは

  • 常識の必要性――川久保玲の破壊

    2002年度、 組織神学演習15 ・・・執筆者:WF 常識の必要性――川久保玲の破壊 1. はじめに 最近の子供や若者には 常識がない、という言葉は過去から現在に至るまで頻繁に使われてきた。しかし、常識 というものは時代の中で作られてきたもので、時代や社会、文化によって様々に変化す る。時代相が大きく影響して積み重ねられてきた常識に、年齢によってギャップがある のは当然で、ころころと様変わりする不安定な知識や概念は必要ないと私は思っていた 。私もよく親や年上の人から常識がないと言われる。この言葉は、彼らからすれば知っ ていて当然の知識を私は知らないということ、彼らの常識が私にとっては常識ではない ということを示している。しかし常識の無さは、より深刻になってきている。最近では さらにエスカレートし、知識に加え、道徳なども身に付いていない子供が増えている。 私は常識に対して肯定的ではなかっ

  • オヤジのあくび

    パトリック・ハンフリーズ著、野間けい子訳「ボール・サイモン」を読む2 サイモン&ガーファンクルが有名になったのは「サウンドオブサイレンス」から。それまでポール・サイモンはどこで何をしていたのか?その疑問に書は答えてくれる。イギリスでフォーククラブを巡っていたのでした。ボクが大好きな「早く家に帰りたい」を書いたのもこの頃の話。この時期の成果は「ポール・サイモン ソングブック」としてレコード化されている。 ファンは憧れる歌手や作曲家を偶像化する。けれどそれは人間性までも尊敬に値するかどうかは別物なのだ。ベートーヴェンやモーツァルトがそうだったように、若かりしポール・サイモンのエピソードにもかなり自意識過剰で鼻持ちならない側面が浮かんでくる。この辺りも評伝を読む楽しさなのだろう。 S&Gが世界的に有名なデュオになり、映画「卒業」がヒットしてからの話は、どこかで聞いたことがあるようなエピソードが

    オヤジのあくび
  • 南方熊楠と朝鮮-趙恩馤(ちょう うね)

    右の年譜のように、今村は一八七〇年高知県高岡郡高岡町に生まれ、一九〇八年から一九二五年まで警官として朝鮮に赴任しているが、かたわら朝鮮の風俗に関する研究を続け、退職後も数多くの朝鮮総督府風俗資料編纂を手がけたことで知られている。今村の研究は、人が自ら「自分は決して世間の所謂る学者先生では無い」というように、個人の趣味から始め、朝鮮総督府の編纂事業としての著作が多い。また、これらの研究は「朝鮮の警察の此創設時代に於いて最も必要な事は朝鮮の風俗習慣を調査して是を知悉する事である」ということがきっかけであった(3)。警官としての立場や今村の著作の目的に、植民地政策との関わりがあることから、今村の研究はしばしば当時の民俗学に対する批判において問題とされてきた。個人の著作として最も知られている『朝鮮風俗集』に「朝鮮人の犯罪」「朝鮮人に対する官命の効果」などの項目が、今村の職務に関係することであった