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ブックマーク / suumo.jp (73)

  • 新宿がなかったら死んでいた。訪問者ではなく、定住者として「新宿」で暮らした6年間(文・花井優太) - SUUMOタウン

    著: 花井優太 新宿西口思い出横丁「岐阜屋」 餃子と木耳(きくらげ)玉子炒めを頼んで、ビールを飲みながら料理が来るのを待っていたら、外からシュプレヒコールが聞こえてきた。きっと青梅街道をたくさんの人がプラカードを持ちながら歩いている。新宿思い出横丁「岐阜屋」に休日の昼間にいると、たまにこうした場面に出くわす。70年と少し前、闇市としてこの辺りが栄え始めたころからこの店はあるという。 紀伊國屋書店新宿店の地下にあったカレー屋「モンスナック」とスパゲッティ屋「ジンジン」がそれぞれ離れた場所に移転してしまったこともあり、行動範囲のなかで飲み歩く際に気軽に立ち寄ってご飯をべる店としてもこの店の出番が増えている。たいていはチャーハンか焼きそばをべるが、理由はが読みやすいからだ。カレーとスパゲッティもそう。神保町にやたらカレー屋が多いのは、片手でべやすいからだと聞いたことがある。紀伊國屋二階の

    新宿がなかったら死んでいた。訪問者ではなく、定住者として「新宿」で暮らした6年間(文・花井優太) - SUUMOタウン
  • 「多様性カオス」のある街、新大久保に僕が住んでいる理由 - SUUMOタウン

    著: 室橋裕和 ここは「コリアンタウン」ではない 「すっかりコロナの前に戻ったなあ……」 新大久保のにぎわいの中で、改めて実感する。街は若い女性でいっぱいだ。大久保通り沿いに並ぶ韓国のレストランやコスメK-POPアイドルグッズのショップを目指す人たちで、歩道は混みあう。ところどころ行列している店も見る。僕がときどきキムチや肉を買いに行くスーパー「韓国広場」も、かなりの混雑だ。 JRの駅からガード下をくぐった韓流エリアには韓国のレストランや材店、コスメなどのショップがひしめく近頃は、流行を楽しむだけでなく、この街でなにかを得たいと考えてやってくる女性も増えているのだと聞いた。例えば、韓国語を勉強するために韓国のレストランでアルバイトしたり、K-POPのダンス教室に通ったり、韓国料理を習ったり。ときどき、カフェなどを使って街の姿やそこに生きる人々を切り取った写真展が開かれたりもする。表現し

    「多様性カオス」のある街、新大久保に僕が住んでいる理由 - SUUMOタウン
  • 酒飲みの街、京成立石。再開発とそこでの生活(文・田中鈴) - SUUMOタウン

    著: 田中鈴 京成立石は懐かしい音がした。 改札を出てまっすぐ階段を下りると、商店街が現れてカーンカーンカーンカーンとけたたましく鳴る踏切が出迎えた。走り去る電車を追いかけるように今度はカンカンカンカンと倍速で鳴り始めると、反対側の電車が通り過ぎていく。 商店街は、子どもを後ろに乗せたたくさんの自転車が行き交っていて、お店の人とお客さんの声も聞こえる。昼から飲んでいたのだろう酔っぱらった大人たちの叫び声もアーケード内でよく響く。 そんな京成立石。2028年には高層マンションが建つらしい。 京成立石が苦手だった 京成立石に越してきたのは、21歳のころ。高校を卒業後、「3年で辞める」と決心して入社した品販売の仕事をぴったり3年で辞めて、もう私は自由だった。 親元を離れて一人暮らしをしようか、どこか海外にでも行こうか。いっそのこと、どこか遠くで生活してみるのはどうか、と考えてから、職も決めずに

    酒飲みの街、京成立石。再開発とそこでの生活(文・田中鈴) - SUUMOタウン
  • 参加者3万人「京都モダン建築祭」を建築ライターがめぐってみた! 明治・大正時代の名建築の内部を限定公開

    参加者3万人「京都モダン建築祭」を建築ライターがめぐってみた! 明治・大正時代の名建築の内部を限定公開 2022年11月、京都市中心部に点在する近代建築を公開する一斉公開イベント、「京都モダン建築祭」が開催されました。京都や大阪を拠点に研究活動を行う建築史家らが選定する文化的価値の高い建築物が公開されるとあり、初開催にもかかわらず3日間でのべ3万人の参加者を数える注目イベントとなりました。現役の庁舎建築や教会、レストラン・商店など民間の建築、長い歴史のなかでもともとの用途から転用された文化施設など、さまざまなバリエーションが楽しめる36軒が参加しました。

    参加者3万人「京都モダン建築祭」を建築ライターがめぐってみた! 明治・大正時代の名建築の内部を限定公開
  • 大森にある「奇跡の映画館」で、今日もチケットをもぎる。俳優・片桐はいりさんの映画愛と大森愛 【東京っ子に聞け】 - SUUMOタウン

    インタビューと文章: 榎並紀行(やじろべえ) 写真: 小野奈那子 東京に住む人のおよそ半分が、他県からの移住者*1というデータがあります。勉学や仕事の機会を求め、その華やかさに憧れ、全国からある種の期待を胸に大勢の人が集まってきます。一方で、東京で生まれ育った「東京っ子」は、地元・東京をどのように捉えているのでしょうか。インタビュー企画「東京っ子に聞け!」では、東京出身の方々にスポットライトを当て、幼少期の思い出や原風景、内側から見る東京の変化について伺います。 ◆ ◆ ◆ 今回お話を伺ったのは、俳優の片桐はいりさん。東京都大田区で生まれ、幼少期から現在までずっと、地元の大森で暮らし続けてきました。現在は街に唯一残った映画館「キネカ大森」でチケットもぎりをしたり、行きつけの喫茶店「珈琲亭 ルアン」で映画仲間と語り合ったり。愛着のある街で大好きな映画を存分に楽しむ、充実の日々を送っています。

    大森にある「奇跡の映画館」で、今日もチケットをもぎる。俳優・片桐はいりさんの映画愛と大森愛 【東京っ子に聞け】 - SUUMOタウン
  • 石神井公園は僕にとって、いつまでも「永遠の楽園」だ(寄稿:パリッコ) - SUUMOタウン

    大泉学園と石神井公園 僕が生まれ育ったのは、東京都練馬区の西の端、西武池袋線の大泉学園という街だ。もう14年も住んでいる石神井公園は、その隣駅になる。 子どものころ、石神井にいとこの三兄弟が住んでいた。まんなかの女の子が僕と同い年で、上下に3歳ずつ離れた男の子。全員と仲が良く、いとこのうちへ年に何度か泊まりがけで遊び行くのが楽しみだった。 駅寄りの「石神井池」エリアと、道路を挟んでさらに広がる「三宝寺池」エリアからなる「石神井公園」は、都内でも有数の自然豊かな場所で、子どもの僕にとっては夢の楽園だった。起伏のある公園内を走り回り、うっそうとしげる林のなかを探検したり、池でザリガニ釣りをしたり、駄菓子屋でおやつを買いいしたり。 子どものころの思い出が詰まった石神井公園。こちらは三宝寺池側毎回、親が車で連れて行ってくれたので、子どもの僕には家からの距離感もよくわかっていなかった。とにかく、い

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  • 地形マニアの聖地「赤羽」 スリバチあり、歴史あり、酒場ありの魅惑的な町 (寄稿:東京スリバチ学会 会長) - SUUMOタウン

    著: 皆川典久(東京スリバチ学会 会長) 土地の高低差が町の個性を育み、町並みに意外な奥行き感を与えていることがある。 東京で「山の手」と呼ばれているエリアは坂道が多い。そして坂を上る、あるいは下りることで町の雰囲気が一変する場面にしばしば出会う。坂の上と坂の下では、性格の異なる町が崖を境に隣り合っているためだ。 だから街角で坂道や階段を見つけたら、面倒がらずに上り下りを楽しんでみてほしい。あなたの知らない世界が待っていることがある。北区の「赤羽」は、そんな楽しみが味わえる、特有の凸凹地形を持つ町である。 赤羽駅で途中下車し、スリバチと歴史の世界へ 私は、「谷」が多い東京の地形を観賞・体感する「東京スリバチ学会」を主宰し、休日に各地を歩き回っている。ちなみにスリバチとは都心に多い谷間や窪地のことで、地形の第一印象から、私が勝手に名付けた。詳しくは、記事最後のプロフィールを読んでほしい。 そ

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  • 小さな個人商店が成り立つ街、岩手県盛岡市に移住したTシャツ屋さんの話(文・玉置標本) - SUUMOタウン

    著: 玉置 標 さてこれは何をモチーフにしたロゴでしょうか?正解は記事の中で 東北地方の太平洋側、宮城県の北、青森県の南東に位置する岩手県。その県庁所在地である盛岡市が盛り上がりを見せていて、各地から移住者が集まっているという話を仙台市在住の方から聞いた。 私は盛岡を訪れたことがなく、首都圏からすごく遠い場所というイメージだったのだが、新幹線なら東京から二時間ちょっとと知って驚いた。実際に盛岡へ移住した人、盛岡で生まれ育った人に話を伺い、盛岡の街をじっくりと歩いて、人が集まる理由を感じてきた。 盛岡駅は東京駅から新幹線で最短2時間10分と近かった 10月後半の平日、よく晴れた日に岩手県盛岡市へと向かった。 東京駅から盛岡駅までは新幹線はやぶさで、最短2時間10分とあっという間。東京、大宮、仙台、そしてもう盛岡である(上野に停車する場合もある)。 東京から新大阪へ行くよりも早いことに驚いた

    小さな個人商店が成り立つ街、岩手県盛岡市に移住したTシャツ屋さんの話(文・玉置標本) - SUUMOタウン
  • ほんのり愛着をおぼえる新代田(文・小原晩) - SUUMOタウン

    著: 小原晩 京王井の頭線新代田駅の改札を降りると環七通りがばーんとある。その奥には朝焼けや快晴や夕暮れやどしゃぶりがいつものんびり広がっている。あの風景が好きだった。 新代田は、初めてひとり暮らしをした部屋の最寄駅だ。もう6年前のことである。下北沢のとなりの駅で、もともと下北沢に住みたがっていた私に「ここならあんたも住める家賃の部屋があるよ」と両親が見つけて、選んでくれた部屋だった。うちの両親は八王子に住んでいて、旅行以外で八王子からでることはほとんどないのに、どうしてこの時だけ1時間も電車に揺られてこの街をすすめてくれたのか不思議だったけれど、それほど娘のひとり暮らしは親からすれば不安なものだったのかもしれない。たしかに両親おすすめの新代田から憧れの下北沢までは、ちょっと歩けばつく距離だった。だから私はこの街に住んでみようと思った。 新代田駅の改札を出たところの風景、環七通りと空 新代

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  • 戦わなくてもいい街「両国」で、僕は戦い続ける。(文・横川良明) - SUUMOタウン

    著: 横川良明 東京は、戦いに行く街だった 大阪生まれの僕にとって、引越してきて17年になる今も、東京は戦いに行く街だというイメージがある。BUMP OF CHICKENの『車輪の唄』を聴きながら夜行バスに揺られること8時間。降り立った新宿のビル街は、目も眩む威容だった。 新卒で入社したのはテレビ業界。会社の所在地が銀座であることが、ミーハーな僕のひそかな自慢だった。だけど昼も夜もないAD業務に音を上げ、あっという間に退職。その後、南青山、丸の内で働いたのち、28歳でフリーランスのライターという道を選んだ。思えば、職場を選ぶ決め手の6割くらいがエリアだった。ミーハーにも程がある。 エンタメ業界を取材して回るようになってからも、赴く先は華やかなエリアが多かった。恵比寿、六木、中目黒。初めて訪れたときはおっかなびっくりだった足取りもすっかり慣れ、合間に立ち寄る人気のカフェやダイニングが取材の

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  • 銀座の風吹く月島【銀座に住むのはまだ早い 第23回 中央区】(文・小野寺史宜) - SUUMOタウン

    著: 小野寺史宜 家賃5万円弱のワンルームに住みつづけてうん十年。誰よりも「まち」を愛し、そこで生きるふつうの「ひと」たちを描く千葉在住の小説家、小野寺史宜さんがいちばん住みたいのは銀座。でも、今の家賃ではどうも住めそうにない。自分が現実的に住める街はどこなのか? 条件は家賃5万円、フロトイレ付きワンルーム。東京23区ごとに探し、歩き、レポートしてもらう連載です。 ◆◆◆ 足かけ3年にわたる近場での長旅も、おかげさまでいよいよ最終回。銀座に近づいて参りました。 今回は、そのもの銀座がある中央区。 といっても、タイトルで思いっきり、銀座に住むのはまだ早い、と言ってしまっているので、銀座ではありません。 ならどこか。ここ。月島。 最後は中央区にしようと決めていた。 第1回の千代田区もそうだが、中央区も、住む場所感、は強くない。だからこそ住んでみたいと昔から思ってきた。適度に乾いたそこの空気が好

    銀座の風吹く月島【銀座に住むのはまだ早い 第23回 中央区】(文・小野寺史宜) - SUUMOタウン
  • 子どものころは「普通の景色」だった蔵造りの街並みが、今では特別な存在に。川越ならではの価値を次世代に伝えたい/埼玉県川越市・川越一番街商店街「櫻井印刷所」櫻井理恵さん【商店街の住人たち】 - SUUMOタウン

    インタビューと文章: 小野洋平(やじろべえ) 写真:小野 奈那子 長年、そこに住む人々の暮らしを支えてきた商店街。そんな商店街に店を構える人たちにもまた、それぞれの暮らしや人生がある。 街の移り変わりを眺めてきた商店街の長老。さびれてしまった商店街に活気を呼び戻すべく奮闘する若手。違う土地からやってきて、商店街に新しい風を吹かせる夫婦。 商店街で生きる一人ひとりに、それぞれのドラマがあるはず。連載では、“商店街の住人”の暮らしや人生に密着するとともに、街への想いを紐解いていく。 ◆◆◆ ■今回の商店街:川越一番街商店街(埼玉県川越市) 江戸時代からの街並みが色濃く残る川越。1951年に札の辻から仲町交差点までの430m、70店舗による協同組合として発足したのが「川越一番街商店街」だ。これまで歩車道の段差解消、街路灯の新設、歩道の石畳化、電線の地中化などに取り組み、江戸から続く景観を今に受

    子どものころは「普通の景色」だった蔵造りの街並みが、今では特別な存在に。川越ならではの価値を次世代に伝えたい/埼玉県川越市・川越一番街商店街「櫻井印刷所」櫻井理恵さん【商店街の住人たち】 - SUUMOタウン
  • 「落合南長崎」には、弱いわたしが都会でなんとか生きるために必要な環境が全てそろっている | 文・ニシダ(ラランド) - SUUMOタウン

    著: ニシダ(ラランド) 親に勘当されたわたしが流れ着いたのは 落合南長崎に住み始めて約二年になる最近、引越しを考えている。 彼女と二人で1Kのけして広くはない部屋で暮らしている。向こうが一人で住む家に、わたしが転がり込んだ形だ。「野良を構ってやったら住み着いた」みたいなものだと思ってほしい。 その前は、神奈川の実家に住んでいた。2度目の大学退学が引き金になり、家を追い出され、両親には「二度と敷居をまたぐな」と言われ、傷心の中キャリーケース一つ分の荷物だけを持ったフーテンのニシダが風まかせに流れ着いたのが落合南長崎だった。 わたしにとって住むのには理想的で、大好きな場所になったので、皆様にも落合南長崎を知ってもらいたい。大学を2回退学したことに引っかかってしまった人は、この記事を読んだ後に調べてみてほしい。あらすじを言うと、わたしは大学を7年かけて2度退学し高卒になりました。 まず落合南

    「落合南長崎」には、弱いわたしが都会でなんとか生きるために必要な環境が全てそろっている | 文・ニシダ(ラランド) - SUUMOタウン
  • 「ほっといてくれる」心地よさ。阿佐ヶ谷でひとり、居場所を見つけた(文・山口 亮) - SUUMOタウン

    著: 山口 亮 「人がいっぱいいるから、何かおもしろいこともあるだろう」。富山県高岡市で生まれ育った私の考えはとても単純だった。田んぼのど真ん中で高校生活を過ごした私は、そんなわけで東京へ進学することを決めた。 通学は自転車で30分、週末にはイオン映画鑑賞。お小遣い欲しさにこっそりアルバイトをし、いい加減な恋愛をして気がついたら受験シーズン。特別なことは何もなかったように思うし、だからこそ「なんでもありそうな」東京に行けば何かが起こるような気がしていた。 「お父さん、手続きも受験も全部自分でやるので100万円だけください。あとはなんとかします」 そう頭を下げて受験を乗り越え、東京に引越した。 大学生活をそこそこに過ごし、進級のタイミングで選んだ引越し先は中央線沿線の阿佐ヶ谷だった。それまでと異なる校舎に通学することになり、利便性や家賃相場のバランスを考えて選んだ場所だった。中央線カルチャ

    「ほっといてくれる」心地よさ。阿佐ヶ谷でひとり、居場所を見つけた(文・山口 亮) - SUUMOタウン
  • 住んだ時間、年月にかかわらず「帰りたい」と思える場所が「地元」なのではないか【東京都中央区日本橋小伝馬町】 - SUUMOタウン

    著: 池田礼 小伝馬町駅そばにある十思公園。江戸時代に伝馬町牢屋敷であった歴史から、公園内には処刑の合図となった「石町時の鐘」が残っている 「あなたたちは皆生まれた場所が違うの。あなたは北海道、お兄ちゃんは京都、1番上のお姉ちゃんは東京で」。小さいころに聞いた、年子の3人兄弟全員の出生地が違うという母の説明に、幼心に「へえ、私は京都がよかった」とかなんとか、適当なことを言ったのを覚えている。 幼いころはそれが普通だと思っていたけれど、歳を重ね人と会う機会が増えると、初対面で聞かれるようになった「地元はどこですか」の質問に口籠ってしまい、うまく答えられないことに気がついた。生まれたのは北海道だけど、すぐに父の実家がある香川に移ったし、小学校3年生の後半には神奈川県の新百合ヶ丘、中学に上がるころには東京に引越した。だから当時、この質問に慣れていなかったころは、兄弟間でよく「私たちの地元ってどこ

    住んだ時間、年月にかかわらず「帰りたい」と思える場所が「地元」なのではないか【東京都中央区日本橋小伝馬町】 - SUUMOタウン
  • シャーロック・ホームズの事件現場や建築を図解! 長年の謎「西日問題」も解決?! ホームズ研究家・北原尚彦さんに聞いた

    「名探偵といえば?」と問われたら必ず名前が挙がるのが、アーサー・コナン・ドイルが生み出した名探偵シャーロック・ホームズだろう。その原作に登場する建物や事件の現場は、実際はどんな建築物だったのか? この課題に取り組み、『シャーロック・ホームズの建築』というにまとめた北原尚彦さんに話を聞いた。 『シャーロック・ホームズの建築』の始まりは、「キャラクター」 まず、このができるまでの経緯を聞いた。北原さんの話によると、SNSがきっかけだという。 あるキャラクターを使ったに興味を持った北原さん。そのについてTwitterで取り上げたら、大きな反響があった。それがきっかけで、そのを出版したエクスナレッジの編集者である佐藤美星さんと知り合いになり、佐藤さんから自社の「建築知識」という雑誌で連載をしてほしいと依頼があった。当初は「ミステリー小説の間取り」という依頼だったが、「ホームズに登場する建

    シャーロック・ホームズの事件現場や建築を図解! 長年の謎「西日問題」も解決?! ホームズ研究家・北原尚彦さんに聞いた
  • 旅するカレー研究家・水野仁輔に聞く「おうちスパイスカレー」の世界。”世界一簡単”なレシピも紹介

    このコロナ禍で、おうち時間の過ごし方が見直され、新しい楽しみのトビラを開いた人も少なくない。スパイスからつくる「おうちカレー」もそのひとつだろう。一方で、スパイスカレーは世界中でべられているグルメであり、そこでしか味わえない魅力もある。きっと、コロナ禍が落ち着いたら遠出してべたい「旅カレー」もあることだろう。 今回は「SUUMO」×「じゃらん」のコラボ企画として、そんなカレーを「おうちカレー」「旅カレー」それぞれの視点から楽しみ方を紐解いてみたい。そこでSUUMOジャーナルでは、スパイスを求めて20年、各国に旅をしながら、著書やnoteなどでカレーレシピを発信し続けているカレー研究家の水野仁輔さんに「おうちカレー」の話を聞いてみた。 水野仁輔さん(カレー研究家)。カレー専門の出張料理人として活動する傍ら、スパイスを求めて世界中を旅したり、友人カレーを研究したり、カレーについて学べる学

    旅するカレー研究家・水野仁輔に聞く「おうちスパイスカレー」の世界。”世界一簡単”なレシピも紹介
  • 西台・高島平 ─ 努めて忘れようとすれば、常に曇天のノスタルジー | スカート・澤部渡 - SUUMOタウン

    著: スカート・澤部渡 ▲ 西台駅から見える高島平の夕暮れ/2012年11月筆者撮影 首都高中央環状線と外環を結ぶ5号池袋線と、東京の果てへ向かって走る都営三田線に囲まれた地域。高島平が、私の生まれ育った街です。どうにもこうにも寂しい街。ほぼ海抜ゼロメートル地帯*1という宿命を背負っているためか、何もかもが寂しい。それは公園の時計であろうと、駅前の噴水であろうと、スーパーマーケットの生け垣であろうと、例外はなかったように思えます。 私が多分におセンチな人間だからそう思ってしまうのかもしれません。ですが、そのおセンチな私が育った街なのです。日々の暮らしや思い出はまた別ですが、なぜか「自分が生まれ育った街」を思い出すとき、その景色は常に曇天です。 あのマンモス団地がある街、高島平私は出身地を説明するときに「高島平」と言います。「あのマンモス団地がある高島平です」。そうして会話は終わる。もっとも

    西台・高島平 ─ 努めて忘れようとすれば、常に曇天のノスタルジー | スカート・澤部渡 - SUUMOタウン
    funaki_naoto
    funaki_naoto 2022/05/12
    動物園や植物園があって夏は花火も見られる。
  • 都内「区境」での暮らしは飽きることがない【杉並〜中野〜渋谷】 - SUUMOタウン

    著: 森原優 招かれた客人のように笹塚に住む 「大学に入ったのだから勉強を頑張りなさい」。厳格な祖父の言葉に従い、勉強というか研究に没頭しすぎてしまった結果、私は西日にある母校を休学という形で離れ、東京の研究機関にしばらく勤めていた。 当然、卒業は後ろ倒しになり、人より少し遅れて社会に出ることになった。大学の同期はとうに就職しており、「勉強を頑張りなさい」と言っていた祖父が、この後のくだりで多少怒りに打ち震えたと噂に聞いたが、私は二つ下の弟と「社会人同期」になった。 東京にいるあいだ、研究で何度か接したマスコミの世界に魅力を感じた私は、そのまま何も考えることなく“煌びやかな”マスコミ業界に入ることを決めた。会社は渋谷にあり、最初の数カ月は笹塚にある研修用のマンションに転がり込むことになった。そうして私は、笹塚という街に、招かれた客人のような態度で住み始めた。 笹塚駅の乗降客数は近隣の駅と

    都内「区境」での暮らしは飽きることがない【杉並〜中野〜渋谷】 - SUUMOタウン
  • 高田馬場で聞こえたThe World Is Yours(文・showgunn) - SUUMOタウン

    著者: showgunn 自室、スタジオ、ライブハウス、時にはそこらの公園や道端など、街のあらゆる場所で生まれ続ける音楽たち。この連載では、各地で活動するミュージシャンの「街」をテーマにしたエッセイとプレイリストをお届けします。 ◆◆◆ 2021年の夏の終わり、20年以上住み続けたボロアパートをようやく出ることにして、高田馬場ともお別れの時がやってきた。 引越しの日、荷物や家具がすべて運び出された部屋を見て「意外と広かったんだな~」と感慨深くなる、なんていうのはよく聞く話だが、私の場合、そもそもが四畳半なので何もなくなっても普通に狭かった。 それよりも、これまで家具や荷物で隠れていた部屋のボロさや汚さが露わになってしまっていて、苦笑とともに「きったねぇな」という声が思わず漏れた。 その「きったねぇな」という言葉は、当に汚いものを見て嫌悪感をもよおした時に出るのとは違い、「よくこんなところ

    高田馬場で聞こえたThe World Is Yours(文・showgunn) - SUUMOタウン