タグ

ブックマーク / nonbirishodo.seesaa.net (20)

  • 余白に対する意識。: のんびりと書道の話

    これまでの記事の一覧はこちらへ 『記事の一覧です』 通信添削についてはこちらへ 『通信添削について』 メールによる御質問はこちらのアドレスへ nonbirishodo@mail.goo.ne.jp -------------------------------------------------------- 今回の話、私にとっては改めて意識する事など無いくらいにいつの間にか当たり前のようにやっていた事なので、師に教わったわけでも何かを読んで身に付けたわけでもありません。 なので、世の中の書の先生達がどのように考え、どのように教えているのか、そもそもこんな話をするのかしないのか、といった事についても実は全く分からないのですが、私の中では極めて重要なポイントだと思っている部分なので、普段の教室でも、このブログの通信添削でも、頻繁にしている話です。 例えば「口」という字を手を見ながら書く時を

  • 形の話。その2: のんびりと書道の話

    ---------------------------------------------------------- 今回は前回の「入筆の違い」「線の形」に関する話を前提にした上での、「字の形」のお話です。 早速これを見て下さい。 そこで例えば 「Aと同じように書いて下さい。」 と言われたら、皆さんきっとAと同じように上下2の長さを揃え、左右のズレもないように、つまりはB・C・D・Eのようにはならないように書くはずです。 「Bと同じように」 と言われたら、今度はA・C・D・Eのようには書かないでしょうし、C・D・Eについても「同じように書いて」と言われたらやはり同様でしょう。 何故ならAからEまでの5種類、違いは一目瞭然だからです。 ところが、ですよ(笑) これまた前回の話と同様に、それら一目瞭然であるはずの違いが、ひとたび字の一部分として目の前に現れた途端、区別が付かなくなってしまうの

  • 形の話: のんびりと書道の話

    書道に関する話を、肩の力を抜いてのんびりと、あれこれ思いつくままに書いています。 ついつい放置しがちですが、放棄してしまっているわけではありません。 ---------------------------------------------------------- 「試」のカテゴリ、久しぶりですね~(笑) 今回は何を試するかというと、形です。 形と言うと字形の事と思うでしょうが、今回はそうではなく「線」の形です。 これは毛筆で書いてこそ初めて問題になる話ですが、私がよく言う形臨をする際にも、この部分が見えてない人が極めて多いので、準備が少々面倒だったのにもめげず(苦笑)、頑張る事にしました。 以前にも少しだけ似たような話をした記憶がありますが、毛筆の場合、線に太さがありますから、同じ「一」の字一つ書いても必然的に線そのものにも形の違いが生じます。 この話の意味、分かるでしょうか? こ

  • 字書(篆書の前に。その1): のんびりと書道の話

    ---------------------------------------------------------- 今回は 「どれから始めれば?篆書の場合」 の準備として、篆書学習に必要な字書について話してみたいと思います。 篆書を学ぶ時、一番問題になるのが実は字書です。 というのも、初学者に適した篆書の字書というのが・・・無いんです。 ところが篆書というのは、文字自体に対する知識をある程度しっかり積み重ねていかないと、とても扱いきれるものではありません。 この辺は「文字学」と呼ばれる分野で、基文献となるもの自体が既に専門的な内容で、しかも一般の書店では入手出来ないものが多いので、尚更初学者にとっては足を踏み入れにくい領域になっているのだと思います。 それでもここでは、我々素人が文字学の真似事を始めてみようと思った時に、持っていた方が良いと思われるを、いくつか紹介してみたいと思います

  • 空間交錯: のんびりと書道の話

    書道に関する話を、肩の力を抜いてのんびりと、あれこれ思いつくままに書いています。 ついつい放置しがちですが、放棄してしまっているわけではありません。 ---------------------------------------------------------- 今回の試は黄庭堅の『李白詩巻』です。 もっと長く『李白憶旧遊詩巻』と呼ばれる事の方が多いようですが、ここでは短く『李白詩巻』としておきます。 この書、私が中国書道史上、草書で書かれたものの中では最も好きな書です。 ところが悲しい事に未だに実物は未見・・・(悲) 確か、京都の藤井斉成会有鄰館の収蔵で、もうず~~~っと長い間、「いつか必ず見たい!!」と思っているのですが、なかなかタイミングが合いません(涙) さて、今回採り上げた部分を見て下さい。 初学者の場合、草書と言っても王羲之や孫過庭などを中心に学び始める場合が多いと思うの

  • 考えてみれば単純な字間の話。: のんびりと書道の話

    ---------------------------------------------------------- 今回の話は前回何となく保留にして終わってしまった字間についてもう少し考えてみましょう。 具体的には字間が詰まり過ぎてしまうという状況について考えてみます。 内容的には前回の右上がり不足の話と非常に近い部分がありますから、前回を未読の方は先にそちらをお読み下さい。 とりあえず分かりやすい例として漢数字の「十」という字を挙げてみます。 「十」は横画から書きますが、その入筆位置が問題です。 先ず1画目横画を書いたとして、次の2画目縦画の入筆位置は当然の事ながら1画目横画の入筆位置よりも高くなりますよね。 そしてその縦画の入筆位置が「十」の外形で最も高い位置にもなります。 つまり、2画目縦画の入筆位置が、上の字との字間を決定する事になります。 話にすると何だかやけにややこしいですが

  • 縦書きについて: のんびりと書道の話

    書道に関する話を、肩の力を抜いてのんびりと、あれこれ思いつくままに書いています。 ついつい放置しがちですが、放棄してしまっているわけではありません。 ---------------------------------------------------------- 以前このようなコメントを頂きました。 「縦書きの起源について調べたんですが、納得できる説明が見当たりません。先生は縦書きについて何か考察を持っていらっしゃいますか?」 この御質問に対し、私は極めて簡略に以下のように回答しました。 「早速ですが、物理的な問題ではないかと思います。 甲骨文字の殷代まで遡った時、亀甲や獣骨に文章(文字ではなく文章)を刻む際、卜占の内容上から左右対象に刻む事も多く行われましたが、亀甲の場合特に、見た目に左右対象とするには亀甲自体を縦向きにした方が理に適っていますし、縦にして縦書きする方が行を長く使える

  • 子供の字: のんびりと書道の話

    ---------------------------------------------------------- 今回は前置き無しです。 「幼い子供が書く字のような天真爛漫な字こそが書の理想だ。」 という考えがあります。 「子供の字には『上手に書こう』などといった余計な雑念が入っていないから純粋無垢である。」 と。 このような考え方に接する度、私にはどうしても納得出来ない事があります。 子供は当に「上手に書こう」とはしていないのでしょうか? そんな事、私には到底信じられないのです。 私自身の記憶で言えば、漸く字が書けるようになってきた頃、自分ではそれこそ一生懸命「上手に書こう」としていた事をはっきりと覚えていますし、自分では「上手に書けた」と思っていた字が保育園の先生に直された事がとてもショックだった事を今でも鮮明に覚えているのです。 私の息子は今4歳ですが、字を覚え始めた3歳の頃、

  • コンピュータの出番: のんびりと書道の話

    書道に関する話を、肩の力を抜いてのんびりと、あれこれ思いつくままに書いています。 ついつい放置しがちですが、放棄してしまっているわけではありません。 ---------------------------------------------------------- 随分前になりますが、「臨書のすすめ」で智永の『真草千字文』を紹介しました。 その中で、 「真跡だと思っていたが、搨模説もあるようだ。」 というような事を書きましたが、先日部屋の片付けをしていたところ、偶然それについての非常に興味深い論考を見付けました。 ニ玄社の『PR書画船 かく!』という小雑誌に掲載されていたもので、魚住和晃氏による「コンピュータが捉えた真草千字文」という論考です。 この『かく!』は1998年6月号で、これが通巻第1号、つまり創刊号となっています。 1998年というと既に10年以上前の話になりますが、朧気な記

  • 真草千字文: のんびりと書道の話

    書道に関する話を、肩の力を抜いてのんびりと、あれこれ思いつくままに書いています。 ついつい放置しがちですが、放棄してしまっているわけではありません。 ---------------------------------------------------------- 今回は「臨書のすすめ 草書」で智永『真草千字文』です。 この書は名前のとおり草書だけではないんですが、今回は「真草」のうち、一応「草」としてここに取り上げました。 以前「」のカテゴリーで「文庫の実力。その4」として文庫の千字文の解説書を紹介しましたが、書を学ぶ人にとっての千字文と言えば、何と言っても先ずはこの智永の千字文でしょう。 それくらい有名なものですし、中には、千字文とはこの書の事だと思い込み、元々千字文という文章があるという事を知らない人もいるかもしれません。 当に智永筆かどうかについては異説もあるようですが、

  • 泰山刻石: のんびりと書道の話

    書道に関する話を、肩の力を抜いてのんびりと、あれこれ思いつくままに書いています。 ついつい放置しがちですが、放棄してしまっているわけではありません。 ---------------------------------------------------------- 今回は「臨書のすすめ 篆書」で『泰山刻石』です。 「臨書のすすめ 篆書」を待ち続けていた方、遅くなって当にごめんなさい。 もっと早くアップしたかったのですが、何を取り上げたら良いかをず~っと悩んでいたんです。 しかも、篆書の話を文章として書こうとすると、いつも以上にひたすら話が長くなってしまって、全く収拾がつかなくなりそうな悪い予感がしているのです・・・ それでも、いつまでも避けて通るわけにはいきませんから、何とか始めてみましょう。 それにしても今回、初学者による篆書の独習の難しさというものを改めて強く感じました。 何故なら

    funaki_naoto
    funaki_naoto 2008/01/23
    「水平垂直左右相称、線はどこまでも均一で無表情」
  • なぞるだけ?: のんびりと書道の話

    書道に関する話を、肩の力を抜いてのんびりと、あれこれ思いつくままに書いています。 ついつい放置しがちですが、放棄してしまっているわけではありません。 ---------------------------------------------------------- この時期になると、毎年似たような、何とも苦々しい気持ちにさせられます。 「無理だよねぇ・・・」 何の話かというと、ボールペン字や実用書などの通信講座のコマーシャルの事です。 「なぞって真似るだけで字が上手くなる!」 こんな売り文句が繰り返されていますが、これって当なのでしょうか? 結論から言えば、 「無理だよねぇ・・・」 という答しか出てきません。 何故でしょうか? 例えばボールペン字について考えてみましょう。 何も難しい話ではありません。 これまでにも、何度もこのブログで書いてきた話です。(このブログを読み続けてきた方にと

    funaki_naoto
    funaki_naoto 2008/01/14
    「あなたの手(指)は、あなたが思っている程には、自由自在になど動いてくれないないのです」
  • 無意味: のんびりと書道の話

    ---------------------------------------------------------- 今回は前回の続きをぼちぼちと。 前回は初学者が所謂古典と呼ばれる書を見た際の 「字形が悪い」 という感覚は全くあてにならない。 という話でした。 今回は話をもっと前の段階に戻しましょう。 実は以前にも似たような話はこのブログのどこかで度々書いていると思うのですが、大事に話だから重複は勘弁して下さい。 初学者(初心者)が書道教室のような所に通って書を学び始めたとします。 この時、こんなやりとりになる事がよくあります。 私「○△さん、筆の持ち方が違いますよ。」 ○△さん「あ、そうですね。つい・・・」 しばらくして 私「○△さん、また持ち方が違いますよ。正しい持ち方をして下さい。」 ○△さん「でも先生、先生の言う持ち方だと書きにくいんですよ。私にはこの持ち方の方が書きやすいんです

  • どこがいいのやら?: のんびりと書道の話

    ---------------------------------------------------------- 先日、ネットで書道関連のものをあちこち見ていたら、ある一つの質問が目にとまりました。 「最近、王羲之の『集字聖教序』や空海の『風信帖』を臨書し始めたんだけど、見ていると字形が悪いし、一体どうしてこんなものが古典として認められているのかさっぱり分かりません。こんなものを臨書して当に意味があるのでしょうか?」 その内容はおおよそこのようなものだったのですが、早い話が 「どこがいいのやら、さっぱり分からん」 という事のようでした。 皆さん、この質問、どう思いますか? 私は先ず 「正直な意見だなぁ」 と思いました。 恐らく、初学者の場合、程度の差こそあれ、似たような疑問を持った経験のある人、或いは現時点でこのような疑問を抱いたまま、すっきりしない気分のまま、先生の言うとおりに仕方

    funaki_naoto
    funaki_naoto 2007/12/29
    「初学者自身がある一つの字を見て「字形が悪い」と感じる事と、実際にその字の字形が悪いかどうかという事とは、全く別の話」
  • 篆刻なのに?: のんびりと書道の話

    ---------------------------------------------------------- 今回は篆刻の話をしましょう。 篆刻を学ぶ際によく質問されるのが、 「篆刻をやる前に篆書がしっかりと書けるようになっていなければいけないのか?」 という問題です。 「やりたいのは篆刻、つまり刻する方なのであって、篆書が書けるようになりたいわけではない。」 という事なのでしょう。 ちなみに私は篆刻の場合、「彫る」とは言わずに「刻する」と言いますが、この言い方は一般的ではないようなので御注意を。 さて、さっきの問題、皆さんはどう思いますか? 答えは簡単です。 「書けなくてもかまいません。しかし、しっかり書けるようにならなければ、ろくな印は刻せませんよ。」 書きたいわけではないのに、何故でしょうか? 草稿を考える際や布字(石に刻する文字を書き入れること)をする際に篆書の筆法でも必要

  • 高野切第一種: のんびりと書道の話

    ---------------------------------------------------------- また、お久しぶりのアップになってしまいました。 実は3月に入ってからのインフルエンザの流行で、家族が次々とかかってしまい、大変だったのです(汗) やっと元気になったので、これからまたのんびりとやっていきますね。 さて、今回は「臨書のすすめ 仮名」として『高野切第一種』です。 テキストは今回も二玄社『日名筆選』を挙げておきます。 それにしても、今は誰でも簡単にこれほどのテキストを入手出来るんですから、幸せですよね。 ある仮名の大家の若い時の話ですが、『関戸古今集』に注目してはみたものの、良いがなかなか見つからない。 困っていたところ、たまたま上京した際に立ち寄った神保町の古書店で、コロタイプの良いを見つけた。 値段を聞くとびっくりするような値段だったのだが、上京中でた

  • 古いもの: のんびりと書道の話

    書道に関する話を、肩の力を抜いてのんびりと、あれこれ思いつくままに書いています。 ついつい放置しがちですが、放棄してしまっているわけではありません。 ---------------------------------------------------------- 今回は「古いもの」について少し考えてみましょう。 「古いもの」 ここで言う「古いもの」とはつまり、「古典」とか「伝統」とか呼ばれるものについてです。 もしかしたら、これまでにも似たような話をこのブログの中で既にしているかもしれませんが、大事な話なので、重複していたとしてもお許し下さい。 「古いもの」に対する価値というものには2種類あります。 1つは単純に「古い」というその事自体に価値を求める場合です。 「古い」という価値によって、興味の無い人間からすると信じられないような高い金額で売買されている物というのは少なくありません。

  • 高野切第三種: のんびりと書道の話

    書道に関する話を、肩の力を抜いてのんびりと、あれこれ思いつくままに書いています。 ついつい放置しがちですが、放棄してしまっているわけではありません。 ---------------------------------------------------------- 今回は話を「臨書のすすめ」に戻しましょう。 「高野切第三種」(以下「第三種」と記述します。) 今日はこれです。 テキストはいつもどおり二玄社『日名筆選』を挙げておきます。 「え~?第一種じゃないの?」 と思われる方も多いとは思いますが、敢えて「第三種」を先にします。 「第三種」は前に取り上げた「粘葉和漢朗詠集」(以下「朗詠集」と記述)と同筆とされ、実際よく似ていますので、「朗詠集」をやった後であれば、何の違和感も無く取り組めると思います。 「朗詠集」の回での話とちょうど反対になりますが、この「第三種」の方が天地間をのびのび

  • 粘葉本和漢朗詠集: のんびりと書道の話

    書道に関する話を、肩の力を抜いてのんびりと、あれこれ思いつくままに書いています。 ついつい放置しがちですが、放棄してしまっているわけではありません。 ---------------------------------------------------------- 今回のテーマは『粘葉和漢朗詠集』です。 このブログではこれまで、中国の漢字ものばかり取り上げてきたので、読者の皆さんの中には 「仮名は取り上げないのかな?」 「この人は漢字が専門なのかな?」 と思っていた方も多いかと思います。 書を学んだ事のない一般の人達から見れば、書の中に「漢字」や「仮名」といったカテゴリーが存在している事すら不思議な話でしょうし、ましてや「漢字が専門」などと言うと 「漢字だって仮名だって、書は書でしょ?」 と思う筈です。 私の場合、実際に展覧会に作品を出品するような時には漢字の作品の場合が殆んどですし、

  • 2006年11月: のんびりと書道の話

    書道に関する話を、肩の力を抜いてのんびりと、あれこれ思いつくままに書いています。 ついつい放置しがちですが、放棄してしまっているわけではありません。 ---------------------------------------------------------- 随分と久しぶりのアップとなってしまいました。 今朝の新聞を見て驚きました。 「白川静氏死去」 驚きと共に、 「ついにこの日がやってきたか・・・」 という暗い思いに包まれました。 「字書(篆書の前に。その2)」の回を始め、このブログでもこれまでに数回、白川氏の著作を紹介してきました。 白川文字学については、賛否両論があることを承知の上で、それでも尚、どっぷりと浸かりきってしまいたくなるほど、その内容は強力なものでした。 2ちゃんねるで、白川学説について紛糾している掲示板を見たことがある、という話は以前にも書きましたが、その内容は

  • 1