山本七平bot(名言集) 一知半解さんのtogetterサイト 山本七平学のすすめ 私のホームページです。山本七平学の全体像に迫ることを目指しています。 山本七平「読者連絡会」 山本七平文献目録 ブログ「一知半解」 山本七平の思想を詳しく紹介しています。 池田信夫氏が、「脱原発という『空気』」で重要な指摘をしています。http://agora-web.jp/archives/1382641.html 「最近の原発をめぐる異常な空気は、昔どこかで見たことがあるなと思って、山本七平の『「空気」の研究』を読みなおして驚きました。この本の主題は日本軍の空気ではなく、この本の出た1970年代の日本の空気、特に公害問題をめぐる政治的な空気なのです。 当時、学生だった私にとっては、文春や産経にしか出ない山本は、マイナーな「右派知識人」でした。彼の日本軍についての詳細な分析には感心しましたが、軍を憎む彼が
池田信夫氏が「朝日新聞の主張する『東條英機の論理』で次のような興味深い指摘を行っています。 「きょうは8月15日である。この日に、いつも日本人が自問するのは『日本はなぜあんな勝てない戦争に突っ込んだのだろうか』という問いだろう。これにはいろいろな答があるが、一つは東條英機を初めとする陸軍が日本の戦力を過大評価したことである。陸海軍の総力戦研究所が『補給能力は2年程度しかもたない』と報告したのに対して、東條陸相は『日露戦争は勝てると思わなかったが勝った。机上の空論では戦争はわからん』とこれを一蹴した。 こういう客観情勢を無視して「大和魂」さえあれば何とかなると考える主観主義は、日本の伝統らしい。朝日新聞の大野博人氏(オピニオン編集長)は8月7日の記事でこう書いている 脱原発を考えるとき、私たちは同時に二つの問いに向き合っている。 (1)原発をやめるべきかどうか。 (2)原発をやめることができ
「一知半解」ブログ 補給低能の『日本列島改造論』的作戦要綱&「長沼判決式民衆蜂起・竹槍戦術」的発想が日本によみがえる への私コメントの再掲です。 一知半解さんへ 日本はエネルギー源である石油を東南アジアに確保しようとして大東亜戦争をはじめました。原発の問題は、今後、日本が生存していくためにはこれをどう確保するかという視点で考える必要があります。 そこでおもしろいのが次の吉本隆明氏の言葉です。 ――事故によって原発廃絶論が出ているが。 「原発をやめる、という選択は考えられない。原子力の問題は、原理的には人間の皮膚や硬いものを透過する放射線を産業利用するまでに科学が発達を遂げてしまった、という点にある。燃料としては桁違いに安いが、そのかわり、使い方を間違えると大変な危険を伴う。しかし、発達してしまった科学を後戻りさせるという選択はあり得ない。それは、人類をやめろ、というのと同じです。 だから危
山本七平bot(名言集) 一知半解さんのtogetterサイト 山本七平学のすすめ 私のホームページです。山本七平学の全体像に迫ることを目指しています。 山本七平「読者連絡会」 山本七平文献目録 ブログ「一知半解」 山本七平の思想を詳しく紹介しています。 山本七平は、「原子力発電」の問題を「エネルギーの歴史」という文脈の中で捉えていました。つまり、原子力は「人類のエネルギー史の一段階」として存在するものであり、同時に、「現代のエネルギー問題の一環」として存在るものである、というのです。(山本七平著『日本人と原子力』参照) つまり、原子力は「究極エネルギー」でもなければ、全てこれに帰一すべき「唯一のエネルギー」でもない。いわば人類が、脱水車、脱風車、脱木炭、脱石炭、そしてやがて脱石油をするように、将来はおそらく「脱原子力」の時代を迎えるであろう、と。 といっても、こうしたエネルギー源の変化は
山本七平bot(名言集) 一知半解さんのtogetterサイト 山本七平学のすすめ 私のホームページです。山本七平学の全体像に迫ることを目指しています。 山本七平「読者連絡会」 山本七平文献目録 ブログ「一知半解」 山本七平の思想を詳しく紹介しています。 日本人閣僚の靖国参拝に対して中国や韓国が抗議行動をとることについて、日本人がこれに反論する時に持ち出す論理は、「日本人は死んだら仏(または神)になると考えるので、生前の「罪」をしつこく追求するようなことはしない」というものです。 靖国問題というと中国や韓国の抗議を受けたことが発端であるかのような印象があり、上記のような反論がなされるわけですが、この問題のそもそもの発端は、1969年に自民党が靖国神社を国家護持による慰霊施設としようとして靖国神社法案を提出したことによります。自民党としては、戦死者の慰霊を民間の一宗教法人に任せるのではなく、
山本七平bot(名言集) 一知半解さんのtogetterサイト 山本七平学のすすめ 私のホームページです。山本七平学の全体像に迫ることを目指しています。 山本七平「読者連絡会」 山本七平文献目録 ブログ「一知半解」 山本七平の思想を詳しく紹介しています。 岡田外相は13日昼、第2次世界大戦中に日本軍がフィリピン・ルソン島で米軍などの捕虜約7万人を約100キロ歩かせ、多くの死者を出したとされる「バターン死の行進」(参照)で生き残った元米兵捕虜らと外務省で面会し、「非人道的な扱いを受け、ご苦労され、日本政府代表として、外相として、心からおわび申し上げます」と外相として始めて公式に謝罪しました。(2010年9月13日13時25分 読売新聞) へえ、この問題を何で今ごろと?と怪訝に思いましたが、おそらくこれはアメリカのルース大使が広島の原爆忌に参加したことに対する見返りなのかなあ、とも思いました
山本七平bot(名言集) 一知半解さんのtogetterサイト 山本七平学のすすめ 私のホームページです。山本七平学の全体像に迫ることを目指しています。 山本七平「読者連絡会」 山本七平文献目録 ブログ「一知半解」 山本七平の思想を詳しく紹介しています。 キンピー様へ >憲法の天皇条項は14世紀に既に寿命が無くなっている条文である。 >天皇家滅亡の出典は学術的に高い評価を得ている大日本史である。 キンピー様は、ここで、『大日本史』を、14世紀に(南朝の消滅とともに)その寿命がなくなった後醍醐天皇による親政的天皇制のことを記述した歴史書だと言っているのでしょうか。キンピー様の言は誠に”ハッタリ”が多くて、上記のことばもその類だと思いますが、ここに氏の国旗国歌反対の思想的根拠が置かれているようですので、蛇足ながらその間違いを指摘しておきます。 徳川幕府が朱子学を採用した目的は「官学としての朱子
tikurinさん、レスを有難うございました。山本ファンとそうでない者では所詮見解が異なるので、今回で私からもレスを終わりにさせて頂きます。 >無名人だから無責任な発言をしても良いということにはならない、といっているだけです。 もちろん仰るとおりですが、人の口に扉は立てられないのが人間社会。発言の責任を喧しく追及することこそ、異論や言論抑圧に繋がるのでは?『日本人とアメリカ人』に目を通したのですが、例え相手の言葉遣いや態度が悪かろうが、発言は許すのがアメリカだと山本が書いていたのを憶えています。 「ペンネームについて」なら以前拝読したし、その感想も書いています。貴方は理解する必要があると仰いますが、理解度は個人によって異なるのをお忘れではないでしょうね。そして踏み絵についての例えも、正直にいわせて貰えばおかしい点があります。これはブログネタになりそうで(笑)。 >では、多神教or汎神論の日
山本七平bot(名言集) 一知半解さんのtogetterサイト 山本七平学のすすめ 私のホームページです。山本七平学の全体像に迫ることを目指しています。 山本七平「読者連絡会」 山本七平文献目録 ブログ「一知半解」 山本七平の思想を詳しく紹介しています。 私は早く日本も政権交代できる国になって欲しいと思っています。しかし、そのためには言論戦を通したリーダー選びができるようにならないといけません。そして、その言論戦が熾烈であればあるほど、論敵同士にウイットやユーモアが交わせるようになる・・・そうなって欲しいと思っています。 言論戦における罵詈讒謗は、本当の狙いは別の所にあるか、真剣に物事を考えていない証拠だと思います。こうした言葉による秩序作りという点では、市場原理主義とかなんとかいって多くの論者がアメリカを批判していますが、アメリカのこの点における統治能力はたいしたものです。 ところで、自
山本七平bot(名言集) 一知半解さんのtogetterサイト 山本七平学のすすめ 私のホームページです。山本七平学の全体像に迫ることを目指しています。 山本七平「読者連絡会」 山本七平文献目録 ブログ「一知半解」 山本七平の思想を詳しく紹介しています。 前回「一握りの軍国主義者」論の問題点について山本七平の見解を紹介しました。実はこの問題は、氏が『ある異常体験者の偏見』を執筆当時(1973年)、毎日新聞の元編集委員新井宝雄氏との間で論争になったものです。 新井氏は、山本七平への反論の中で次のようにいっています。 「山本氏は当時の新聞を極悪人にしたてることによって、かえって侵略戦争を立案しその実施を指令した軍国主義者達を弁護する結果になっている。山本氏は戦争を画策し、その執行を指示した軍国主義者達があたかもいなかったかのようにいっておられるが、それは事実に反する。戦後の新聞にも問題はむろん
山本七平bot(名言集) 一知半解さんのtogetterサイト 山本七平学のすすめ 私のホームページです。山本七平学の全体像に迫ることを目指しています。 山本七平「読者連絡会」 山本七平文献目録 ブログ「一知半解」 山本七平の思想を詳しく紹介しています。 田母神論文については、歴史的事実に関する認識不足があまりにも多く、論理も一貫していないし哲学も貧困なので、エントリー「田母神空軍幕僚長『最優秀論文』の論旨、論点及び哲学」でその点を指摘しました。秦郁彦氏や保阪正康氏などの歴史研究の専門家もその後同様の指摘をしていますし(朝日新聞)、マスコミでも批判的な意見が大半のようです。ところが、ネット上での調査では、yahooでは「まったく問題はない」「ほとんど問題はない」の、あまり問題視していない人が6割近くにのぼりました。内容は、「論文の内容自体が間違っていない」のだから問題はないと考える人や、「
コメントありがとうございます。 山本七平の「天皇制」論は『現人神の創作者たち』に集約されていると思いますが、明治維新は日本人が初めて経験したイデオロギー革命であったということ。 そのイデオロギー(国家神道に基づく尊皇思想)は朱子学の正統論と国学の万世一系天皇論が習合してできたものであること。これを思想史に組み込み対象化することでこれを過去に申し送りることができる。 ところで、確かに明治維新は尊皇イデオロギーがもたらしたものですが、しかし、その革命の担い手たちは、実際には「立憲君主制」の名を借りて「幕府制」を維持したのであって、このまやかしが、昭和になって尊皇思想=天皇親政論を復活させることになったのです。 では今日このイデオロギーは真に克服されたでしょうか。山本七平は、このイデオロギーのファナティシズムが朱子学の正統論に由来することを発見しました。伝統的な天皇制はむしろ今日の象徴天皇制に近
山本七平bot(名言集) 一知半解さんのtogetterサイト 山本七平学のすすめ 私のホームページです。山本七平学の全体像に迫ることを目指しています。 山本七平「読者連絡会」 山本七平文献目録 ブログ「一知半解」 山本七平の思想を詳しく紹介しています。 小野田少尉の話が出てきたところで、その救出にあたって山本七平がどのような役割を果たしたかということについて紹介しておきます。 まず、小野田少尉の終戦以降帰国までの経過をWIKIPEDIAに見ると次のようになっています。 1945年8月を過ぎても任務解除の命令が届かなかった為、部下(赤津一等兵:1949年投降、島田庄一伍長:1954年5月7日戦死、小塚金七上等兵:1972年10月19日戦死)と共に戦闘を継続し、ルパング島が再び日本軍の指揮下に戻った時の為に密林に篭り、情報収集や諜報活動を続ける決意をする。その為、日本では1945年9月に戦死
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