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ブックマーク / www006.upp.so-net.ne.jp (14)

  • 自由民権期の天皇観

    これは、群馬の著名な民権家である斎藤壬生雄・山崎重五郎兄弟の父親、斎藤看園の日記の冒頭に記されていたものです。地球をほんの小さいものとしてのみ込んでいる大宇宙を、自分のなかに意識することによって、地球上に独り立つ自己を見極めようとしているかのように読みとれるこの日記の書きだしは、看園の在野の思想家としての相貌を浮かび上がらせるものといえます。。 看園が、地球上一人と認識した背景の一つには、大阪事件の連累者として獄中にあった息子の山崎重五郎が、1886(明治19)年7月24日に死亡したことも、関係あるのかもしれません。 しかし、新聞や雑誌の論説・雑報・海外事情などの抜き書きによって構成されている看園の日記を丹念に見ていくと、その関心の幅の広さと、その方向には、地球上一人と認識せしめるだけの確固としたものが存在しているのは確かなように思われます。自由民権運動の全国的な景況は当然ですが、その思想

  • NR出版会連載企画 書店員の仕事 特別編 震災から三年をむかえて1 「何がお客様に必要か」を考え続ける 高木 徹さん(鹿島ブックセンター/福島県いわき市)

    NR出版会連載企画 書店員の仕事 特別編 震災から三年をむかえて1 「何がお客様に必要か」を考え続ける 高木 徹さん(鹿島ブックセンター/福島県いわき市) 震災・原発災害の発災から、三年が過ぎようとしています。当店が立地するいわき市では、甚大な被害が出た沿岸部でも瓦礫の撤去が完了し、高台移転や復興住宅の建設工事が進行中です。市街地でも、被害を受けたインフラの復旧がほぼ終了し、まるで震災自体が無かったことではないか、とさえ思われます。しかし、店頭でのの売行きを見ると、発災以前と以後で変化が生じていることに気付かされます。 とりわけ顕著なのが、当店が独自に集計している週間ベストセラーです。ベスト10の中に一冊、多い時には三、四冊も「原発関連」の書籍が入るという状況が未だに続いているのです。これはいわき市と言うより、原発災害の被害を被った福島県の他地域にも共通のことではないかと思われますが、震

  • NR出版会連載企画 NR版元代表インタビュー3 本の力に、いまでも夢を持っている 新幹社(高二三氏)

    NR出版会連載企画 NR版元代表インタビュー3 の力に、いまでも夢を持っている 新幹社(高二三氏) 新幹社の創業は一九八七年。創業者の高二三さんは韓国済州島出身の両親のもと一九五一年に東京で生まれ、大学卒業後、雑誌『季刊三千里』の編集部に入りました。出版社を起こしてからも、出版活動を通して、在日韓国・朝鮮人をめぐるさまざまな問題や、済州島四・三事件の真相究明運動などに一貫して取り組んできました。 ──新幹社という社名の由来を教えてください。 一つは、一九二九年の光州抗日学生運動を指導した「新幹会」にちなんでいます。「新幹会」の幹の字は、初めは「韓」だったのですが、それが当時の朝鮮総督府に許可されず「幹」の字になっています。社会主義者と民族主義者の統一戦線で、反日・反帝国主義がスローガンでした。二つには、幹がバッサリと切られたあとも伸びてくる“ひこばえ”のように、新しい幹を出していく生命の

  • NR出版会連載企画 書店員の仕事 特別編 震災から二年をむかえて5 震災とともに歩む 岡田州平さん(みどり書房福島南店/福島県福島市)

    NR出版会連載企画 書店員の仕事 特別編 震災から二年をむかえて5 震災とともに歩む 岡田州平さん(みどり書房福島南店/福島県福島市) 二〇一一年三月十一日 それは、新規オープンを二週間後に控え、不安を抱きつつも、期待でどこか浮き足立ちながら棚づめの作業を行っている最中に起きました。 なかなかおさまらない揺れにだんだん焦りを感じ、駐車場に全員避難した時に見た、アスファルトが波打つ光景は、今でも瞼の裏に浮かびあがります。それでも私たちはまだどこか浮かれていたのか、店内に戻ってからの第一声が、「あ~、また一から棚づめか~」でした。 二〇一一年四月五日 想定外の大津波、その後の原発の放射能漏れ。道路は寸断され、停電に水道も出ない生活。高い放射線量のもと、料品、日用品を求め開店前のスーパーに並ぶ人々。ガソリン給油に並ぶ車の長蛇の列。 原発事故の後、近所の幼稚園では三分の一の園児が県外に避難しまし

  • http://www006.upp.so-net.ne.jp/tsuru-hp/tennji/innsatsu00-top.htm

    開館五周年を迎えた中央図書館は、図書館にふさわしい記念展示として、「多摩の書物と刷物」展をおこなうこととしました。地元多摩の、それも19世紀に限定して、著書の刊行や出版の事業、印刷技術発展への取り組み、日常を取り巻く広告・領収書・ちらし印刷の変遷などを、出版・印刷文化史の視点から展示構成いたします。 多摩では一九世紀の初頭から、上小山田村出身の国学者、小山田与清(ともきよ)の旺盛な執筆・出版活動が開始され、八王子の女性俳人榎星布(せいふ)尼の俳句集の編集・出版、関戸村延命寺の学僧春登(しゅんと)による言語学・音声学の研究書の出版なども相次ぎます。学問的成果や知識・情報、文芸作品などが、書物の形で広く伝達されるようになったのです。この時期は、学問・文芸・たしなみなどが、農村の知識層に幅広く受け入れられる頃で、かれらの著作出版もこの動向と軌を一にするものでした。 この時期の印刷は、板に文字を

  • 明 治 維 新 人 物 名 鑑

  • 声に出して文句を言いたい日本語(5)

  • 声に出して文句を言いたい日本語(4)

    声に出して文句を言いたい日語(4) 『声に出して読みたい日語』の中には、良い文もあるにはあるのです。ですが、あえて詰まらない選択にこだわって、紹介していきます。 『ロミオとヂジュリエット』   ウィリアム・シェイクスピア(坪内逍遥訳つぼうちしょうようやく) ヂジュリ おゝお、ロミオ、ロミオ! 何故なぜ卿おまえはロミオぢじゃ! 父御ててご をも、自身じしんの名なをも棄すてゝてしまや。それが否いやならば、せめ ても予わしの恋人こいびとぢじゃと誓言せいげんして下くだされ。すれば、予わしゃ最早もうカ ピューレットではない。 ロミオ (傍かたわらを向むきて)もっと聞かきこうか? すぐ物ものを言はおうか? ヂジュリ 名前なまえだけが予わしの敵ぢかたきじゃ。モンタギューでなのうても立派りっぱな 卿おまえ。モンタギューが何ぢなんじゃ! 手てでも足あしでも、腕かいなでも、 面かおでも無ない、人ひとの身み

  • 声に出して文句を言いたい日本語(3)

    声に出して文句を言いたい日語(3) 『声に出して読みたい日語』の中には、良い文もあるにはあるのです。ですが、あえて詰まらない選択にこだわって、紹介していきます。 『古事記ふることふみ』(上巻かみつまき) 臣安萬侶言やっこやすまろまおす。夫それ、混元既まろかれすでに凝こりて、気象未きざしいまだ効あらはわれず。名な も無なく為しわざも無なければ、誰たれか其その形かたを知しらむん。然しかあれども、乾坤初あめつちはじ めて分わかれて、参神造化之首みはしらのかみむすいのはじめと作なれり。陰陽斯めおここに開ひらけて、二ふたはしらの 霊群品之祖かみもろもろのおやと為なれり。所以そえに、幽顕よみじうつせみに出入いでいりて、日月目ひのかみつきのかみめを洗あら ふうに彰あらはわれ、海水うしおに浮沈うきしずみて、神祗身あまつかみくにつかみみを滌すすくに呈あらはわれたり。 (『声に出して読みたい日語』 斎藤

  • 声に出して文句を言いたい日本語(2)

    声に出して文句を言いたい日語(2) 『声に出して読みたい日語』の中には、良い文もあるにはあるのです。ですが、あえて詰まらない選択にこだわって、紹介していきます。 『行司ぎょうじのかけ声ごえ』 「構かまえて、まだまだ」「見合みあわせて」「油断ゆだんなく」 「待まったなし」「はっきよい」「残のこった残のこった」 『結ますびの一番いちばん』 「番数ばんかずも取とり進すすみましたところ、かたや輪島わじま、輪島わじま、こなた北きた の湖うみ、北きたの湖うみ。この相撲一番すもういちばんにて日ほんじつの打うち止とめ(又または千秋楽せんしゅうらく)に ござります」 (『声に出して読みたい日語』 斎藤孝編著 p146) これを初めて見た時、我が目を疑いました。一体、斎藤孝は、何を考えてこんなものを選んだのでしょうか。単なる受け狙いなのでしょうか。こんなものをに載せて、金を取って売る方も売る方ですが

  • 声に出して文句を言いたい日本語(1)

    声に出して文句を言いたい日語(1) 斎藤孝の『声に出して読みたい日語』を、図書館から借りてきて読みました。最初に話題になった時から、このは絶対に気にわないと思っていましたが、予想以上に酷い内容でした。何回かに分けて、いかに酷い内容のなのかを説明します。 特に酷い内容のものを、ここに抜粋してみます。 木もく 火か 土ど 金ごん 水すい [五行ごぎょう] 甲こう 乙おつ 丙へい 丁てい 戊ぼ 己き 庚こう 辛しん 壬じん 癸き [十干じっかん] 子ね 丑うし 寅とら 卯う 辰たつ 巳み 午うま 未ひつじ 申さる 酉とり 戌いぬ 亥い [十二支じゅうにし] 睦月むつき 如月きさらぎ 弥生やよい 卯月うづき 皐月さつき 水無月みなづき 文月ふみづき 葉月はづき 長月ながつき 神無月かんなづき 霜月しもづき 師走しわす [十二か月じゅうにかげつ] (『声に出して読みたい日語』 斎藤孝編著

  • 外来語の言い換え

    扱われた言葉の中には、確かに私自身にも馴染みの無いものもありましたが、あえて、「なんだ、国立国語研究所なんて偉そうな看板を上げて、こんな言葉も知らないのか」というものだけを挙げてみました。 今回リストアップされた言葉をチェックしていきますと、要するに、世代間ギャップの問題のように思えます。 「今どきの若い歌い手は、みんな同じに見えて個性が感じられないな」これは、若いタレントに個性が無いのではなくて、単にある世代から上の人間には馴染みが無いというだけですよね。 今回の外来語問題も、社会一般には定着しているが、ある世代から上の世代には馴染めないという言葉が多いという気がします。失礼な言い方をすれば、あと三十年ほど経てば、馴染めないグループの人間のほとんどが居なくなって自然に問題は解決されるというような。 その一方で、特定のグループの中だけで通用している専門語が、マスメディアの中で無自覚に使われ

  • これで良いのか漢字教育(2)

    これで良いのか漢字教育(2) 幾つかの漢字については旧字、異体字の方が学びやすいのではないかという話です。 内容を簡単する事、少なくする事イコール学習の負担を減らす事とは限らない、というのが私の持論です。勿論、負担が減る場合もあるのでしょうが、簡単にし過ぎてかえって難しくなる事も多々あります。 例えば、「ころもへん」と「しめすへん」。点一つを付けるか付けないかで苦しめられた覚えはありませんか。「ころもへん」の漢字は衣類に関係する字だから、意味を考えれば分かるという意見もあるでしょうが、覚えている最中はその漢字の意味も同時に覚えている訳ですから、やはり混乱します。字の形を見て意味が類推できる、逆に意味から字形を判断する事もできる、そうであったらどんなに楽だったでしょう。 そこで気になるのが「しめすへん」の漢字です。あれはどうしてあんなに「ころもへん」に似ているのでしょう。漢和辞典を調べると、

  • これで良いのか漢字教育(1)

    これで良いのか漢字教育(1) 今回は、2回に分けて話をします。 皆さんは、子どもから「頭」の書き順を聞かれたらどう答えますか。あるいは、「顔」の書き順を聞かれたらどう答えますか。 一番簡単な答は「豆を書いて頁(ページ)」、「彦(ひこ)を書いて頁(ページ)」という答だと思います。ところが、これでは駄目なのです。「頭」も「顔」も小学校二年生で習う漢字です。対して、「豆」は小学校三年生で習う漢字、「頁」も「彦」も常用漢字ではありませんから、小学生が学校で習う事はありません。あなたは、「豆」、「頁」、「彦」という字を全く知らない子どもに「頭」や「顔」という字の書き順を説明しなければならないのです。 そんな訳で、今の小学校二年生は「頭」とか「顔」とかいう字の書き方、書き順を全くの丸暗記で覚えなければなりません。これは大変な労力です。「曜」という字も、日偏以外は丸暗記しかありません。小学校に上がってわ

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