これは、群馬の著名な民権家である斎藤壬生雄・山崎重五郎兄弟の父親、斎藤看園の日記の冒頭に記されていたものです。地球をほんの小さいものとしてのみ込んでいる大宇宙を、自分のなかに意識することによって、地球上に独り立つ自己を見極めようとしているかのように読みとれるこの日記の書きだしは、看園の在野の思想家としての相貌を浮かび上がらせるものといえます。。 看園が、地球上一人と認識した背景の一つには、大阪事件の連累者として獄中にあった息子の山崎重五郎が、1886(明治19)年7月24日に死亡したことも、関係あるのかもしれません。 しかし、新聞や雑誌の論説・雑報・海外事情などの抜き書きによって構成されている看園の日記を丹念に見ていくと、その関心の幅の広さと、その方向には、地球上一人と認識せしめるだけの確固としたものが存在しているのは確かなように思われます。自由民権運動の全国的な景況は当然ですが、その思想