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ブックマーク / bijutsutecho.com (220)

  • マユンキキ インタビュー。私が作品をつくらなくてよい世界にするために(前編)

    マユンキキ インタビュー。私が作品をつくらなくてよい世界にするために(前編)アイヌであることで経験する出来事を起点に、それを徹底して「個人」の観点から分析して作品にするアーティスト、マユンキキ。彼女は、東京都現代美術館で開催中の企画展「翻訳できない わたしの言葉」(4月18日〜7月7日)で、展示室を訪れる観客一人ひとりにも「その人自身」の認識を問いかける仕掛けを導入している。作品の背景にある考え、そして近年の先住民をめぐる言説に感じることとは? 会場のベッドの上で、彼女の経験を通訳として、そして友人として共有する田村かのこが聞いた(記事は前後編)。 *記事は『美術手帖』2024年7月号(特集「先住民の現代アート」)のインタビューを未掲載分も含めて再構成したものである。記事は8月1日からプレミアム会員限定公開。 聞き手・構成=田村かのこ 撮影=池田宏(⁑を除く) 編集=杉原環樹、三澤麦 マ

    マユンキキ インタビュー。私が作品をつくらなくてよい世界にするために(前編)
  • 閉館目前に平田オリザが語った、こまばアゴラ劇場の先駆性。「民間の小劇場としてやれることは限界までやった」

    閉館目前に平田オリザが語った、こまばアゴラ劇場の先駆性。「民間の小劇場としてやれることは限界までやった」2024年5月末をもって閉館すると発表された、東京・目黒区の「こまばアゴラ劇場」。同劇場の開館から約40年にわたる歴史を、芸術総監督を務める平田オリザにインタビュー。見えてきたのは、演劇を取り巻く時代の変化と場所性、未来を見据えた挑戦の軌跡だった。 聞き手・文=望月花妃 撮影=軍司拓実 こまばアゴラ劇場 外観 開館と閉館、それぞれの背景──閉館が決まったこまばアゴラ劇場について、まず開館の経緯をお聞かせください。 この劇場の始まりは、僕の父が1984年に自宅を改装して建てたというものでした。当時ここは木造の2階建てで、表側は商店街。それも昭和の時代ですから、商店街もまだお店がたくさんありました。僕の父は売れないシナリオライターでしたが、若い頃に演劇をやっていたので自宅を劇場にするのが夢だ

    閉館目前に平田オリザが語った、こまばアゴラ劇場の先駆性。「民間の小劇場としてやれることは限界までやった」
  • 「『アンアン』『ポパイ』のデザイン 新谷雅弘の仕事」が島根県立美術館で開催。雑誌文化の隆盛を担ったデザインを紹介

    「『アンアン』『ポパイ』のデザイン 新谷雅弘の仕事」が島根県立美術館で開催。雑誌文化の隆盛を担ったデザインを紹介島根県立美術館で、開館25周年記念「『アンアン』『ポパイ』のデザイン 新谷雅弘の仕事」が開催。創刊当時の『アンアン』と『ポパイ』を中心に、そのデザインを紐解く。会期は6月28日~9月2日。 新谷雅弘 『ポパイ』表紙レイアウト原稿 2023(再制作、部分)と 『ポパイ』1978年6月10日号表紙(部分) ©マガジンハウス ®Hearst Holdings,Inc. 島根県立美術館で、開館25周年記念「『アンアン』『ポパイ』のデザイン 新谷雅弘の仕事」が開催される。会期は6月28日~9月2日。 新谷雅弘は1943年生まれ。堀内誠一(1932〜1987)のアートディレクションによる雑誌『アンアン』の創刊(1970)に参加、以降、『ポパイ』『ブルータス』『オリーブ』(すべてマガジンハウス

    「『アンアン』『ポパイ』のデザイン 新谷雅弘の仕事」が島根県立美術館で開催。雑誌文化の隆盛を担ったデザインを紹介
  • ひっ迫する博物館の収蔵庫、現状と課題は? 法政大でシンポ

    ひっ迫する博物館の収蔵庫、現状と課題は? 法政大でシンポ法政大学資格課程が、5月25日にシンポジウム「博物館の収蔵コレクションの現状と課題を考える」を同大にて開催。博物館収蔵庫の現状と課題について議論が交わされた。 文・撮影=橋爪勇介(ウェブ版「美術手帖」編集長) シンポジウムの様子 収蔵庫の使用率9割以上が約半数 ミュージアムの根幹機能のひとつである収集。その役割を果たすうえで不可欠なのが、作品や資料を保管する収蔵庫だ。しかしこの収蔵庫は、多くのミュージアムにおいて問題を抱えている。例えば、公益財団法人日博物館協会の「日の博物館総合調査報告書」(令和元年度版)では、収蔵庫が資料によってどのくらいの割合を占めているかという調査に対し、「9割以上(ほぼ、満杯の状態)」という館が全体の33.9パーセント、「収蔵庫に入りきらない資料がある」という館も23.3パーセントにおよぶ。また、27.2

    ひっ迫する博物館の収蔵庫、現状と課題は? 法政大でシンポ
  • 建築家・白井晟一設計の個人住宅「桂花の舎」が江之浦測候所に移築へ

    建築家・白井晟一設計の個人住宅「桂花の舎」が江之浦測候所に移築へ建築家・白井晟一が晩年に設計した個人住宅のひとつである「桂花の舎(けいかのいえ)」。これを小田原文化財団 江之浦測候所のある「甘橘山」に移築するプロジェクトが始まった。 桂花の舎 Photo by Yasushi Ichikawa 渋谷区立松濤美術館などの設計で知られる建築家・白井晟一が晩年に設計した個人住宅のひとつ「桂花の舎(けいかのいえ)」。これが杉博司による小田原文化財団 江之浦測候所に移築される。 桂花の舎は、大和市・中央林間に建てられたもの。白井はこの家の完成を待たずに1983年に逝去したため、白井晟一研究所に引き継がれ、竣工した。施主は画家で、デザインや予算などに一切制限を設けないという条件で設計されており、随所に使われている栗材などにその痕跡が見られるという。この建築はその後、地区の宅地開発によって解体の危機に

    建築家・白井晟一設計の個人住宅「桂花の舎」が江之浦測候所に移築へ
  • 鳥取県立美術館が竣工。“ほぼ最後”の県立美術館、25年春開館

    鳥取県立美術館が竣工。“ほぼ最後”の県立美術館、25年春開館日でもっとも人口が少ない県である鳥取県。同県にある鳥取県立博物館の美術分野が独立し、新たに「鳥取県立美術館」が2025年春に開館。その建物が公開された。 文・撮影=橋爪勇介(ウェブ版「美術手帖」編集長) 鳥取県立美術館 人口減少のフェーズに入っている日。そのなかでも人口53万人(令和6年3月1日時点)と日最小の県である鳥取県に2025年3月30日、新たな県立美術館「鳥取県立美術館」が開館する(館長:尾﨑信一郎)。 同館は1972年開館の鳥取県立博物館から美術分野を独立させるプロジェクト。県博は自然、歴史・民俗、美術の3ジャンルを有するミュージアムとして運営されてきたが、開館から40年以上を経て施設の老朽化は避けられない状況となった。また多くの美術館同様、収蔵庫のスペース不足などの問題もあり、2017年に「鳥取県立美術館整備基

    鳥取県立美術館が竣工。“ほぼ最後”の県立美術館、25年春開館
  • 日米のゲームデザインの発展史と美術史の関係とは?

    日米のゲームデザインの発展史と美術史の関係とは?マンガ、アニメといったサブカルチャーは、2000年の村上隆による「スーパーフラット」以降、日の現代美術の文脈を語るうえでもはや外すことができない領域となった。いっぽうで、ヴィデオゲームがその文脈であまり語られてこなかったのはなぜなのだろうか。日米間におけるヴィデオゲームの発展を美術史の流れになぞらえながら整理するとともに、そのなかで培われた独自の空間意識からゲームにおけるキャラクターデザインの美学、そしてゲームと現代美術はいかに交わっていくことができるのかについて、現代美術家・たかくらかずきが全3回にわたって論じる。 文=たかくらかずき 監修・構成協力=中川大地 「悟遊戯OHENRO88」開発中画像 ©️2024 たかくらかずき / BurgerStudio

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  • 専門ミュージアムに行ってみよう。第1回「絶滅メディア博物館」

    専門ミュージアムに行ってみよう。第1回「絶滅メディア博物館」日には専門的な分野を扱う美術館や博物館が数多くある。各館の展示内容とともに、設立秘話やコレクションにかける思いなどをシリーズで紹介する。 文=浦島茂世 展示風景より 2023年1月、大手町に一風変わった私設博物館が開館した。その名は「絶滅メディア博物館」。館内には8mmフィルムカメラ、ビデオカメラ、フロッピーディスク、携帯電話やPHS、カセットプレーヤーなど、かつてはポピュラーだったものの、いまでは使われることがほぼなくなったメディア機器がジャンルごとに整然と並ぶ。都心の一等地になぜこの博物館が生まれたのだろうか? あまりふり向かれない「絶滅メディア」専門の博物館 絶滅メディア博物館は大手町と神田のあいだ、東京都千代田区内神田に位置する。この博物館はその名が示す通り、絶滅、あるいはほぼ絶滅に近い状態のメディア機器を収集・保管・展

    専門ミュージアムに行ってみよう。第1回「絶滅メディア博物館」
  • 切手に込めるは色彩豊かな「美術の世界」。切手デザイナー・楠田祐士インタビュー(前編)

    切手に込めるは色彩豊かな「美術の世界」。切手デザイナー・楠田祐士インタビュー(前編)日全国誰でも一度が見たことがある切手は、日郵便の切手・葉書室所属のデザイナー8名(2023年3月現在)によってデザインされている。馴染み深いはずなのによく知らない「切手デザイナー」という仕事について、イラスト切手から「美術の世界シリーズ」まで手がける最年少切手デザイナー・楠田祐士に話を聞いた。前編では、楠田が世に送り出した「美術の世界シリーズ」の誕生秘話とその魅力に迫る。 聞き手・文=望月花妃(ウェブ版「美術手帖」編集部) 撮影=稲葉真 日全国誰でも一度が見たことがある切手は、日郵便の切手・葉書室所属のデザイナー8名(2023年3月現在)によってデザインされ、生み出されている。馴染み深いはずなのによく知らない「切手デザイナー」とは、一体どのような仕事なのか。 イラスト切手から「美術の世界シリーズ」ま

    切手に込めるは色彩豊かな「美術の世界」。切手デザイナー・楠田祐士インタビュー(前編)
  • DNPアートコミュニケーションズが「国立科学博物館イメージアーカイブ」を開始

    DNPアートコミュニケーションズが「国立科学博物館イメージアーカイブ」を開始大日印刷株式会社のグループ会社であるDNPアートコミュニケーションズが、国立科学博物館所蔵作品の画像データを貸出対象とする「国立科学博物館イメージアーカイブ」を5月20日より開始した。 大日印刷株式会社(以下、DNP)のグループ会社DNPアートコミュニケーションズが、国立科学博物館所蔵作品の画像データを貸出対象とする「国立科学博物館イメージアーカイブ」を5月20日より開始した。 DNPアートコミュニケーションズは、もとより国内外の多くの美術館・博物館等の所蔵作品の高精細なデジタル画像データの貸出サービスを行っており、今回もその一環として実施されるものとなる。 第1弾として貸出がスタートとなるのは、同館の所蔵作品のうち、日のボタニカルアート(植物画)の先駆者のひとりである太田洋愛によって描かれた桜の水彩画集『桜

    DNPアートコミュニケーションズが「国立科学博物館イメージアーカイブ」を開始
  • 「ゲバルト」展が東京日仏学院などで開催。反暴力的反応とその美的様式を探る

    「ゲバルト」展が東京日仏学院などで開催。反暴力的反応とその美的様式を探るゲバルト団体(アレクサンドル・タルバ、平居香子、宮内芽依、アントワーヌ・ハルプク、ガーリン)の主宰により、反暴力的反応とその美的様式を探る展覧会 「ゲバルト」展が、東京日仏学院、CAVE-AYUMI GALLERY、セッションハウスで開催される。会期は5月18日〜6月16日。 制度の暴力のなかで特定の芸術形態がどのように発展していくのかを示そうとする展覧会「ゲバルト」展が、東京日仏学院、CAVE-AYUMI GALLERY、セッションハウスで開催される。会期は5月18日〜6月16日。キュレーターはアレクサンドル・タルバ。 展を主宰するのはゲバルト団体(アレクサンドル・タルバ、平居香子、宮内芽依、アントワーヌ・ハルプク、ガーリン)。2023年5月に東京で設立された芸術的・政治的団体であり、キュレーション集団として構想さ

    「ゲバルト」展が東京日仏学院などで開催。反暴力的反応とその美的様式を探る
  • 宇野亞喜良インタビュー。僕がイラストレーターにとどまり続ける理由

    宇野亞喜良インタビュー。僕がイラストレーターにとどまり続ける理由90歳でなお、第一線のイラストレーターとして活躍する宇野亞喜良。1950年代のキャリア初期から現在に至るまでの900点超で、仕事の全貌を明らかにする過去最大規模の個展「宇野亞喜良展 AQUIRAX UNO」が東京オペラシティ アートギャラリーで始まった。展覧会の企画にかかわった記者が、開幕に合わせて、宇野の代名詞ともいえる幻想やエロスの源泉、寺山修司との関わりなどを聞いた。 聞き手=木村尚貴(朝日新聞社) ポートレイト撮影=軍司拓実 編集=橋爪勇介(ウェブ版「美術手帖」編集長) 宇野亞喜良。アトリエにて撮影 「イラストレーター」であり続けること──宇野さんは、画家や芸術家と名乗らずイラストレーターにとどまり続けています。ポリシーがあるのでしょうか? 昔働いていた日デザインセンターの先輩が、僕のことを幇間(ほうかん)、つまり太

    宇野亞喜良インタビュー。僕がイラストレーターにとどまり続ける理由
  • 坂茂設計の豊田市博物館が開館。豊田市美術館と補完し合う相乗効果を狙う

    坂茂設計の豊田市博物館が開館。豊田市美術館と補完し合う相乗効果を狙う建築家・坂茂の設計による愛知県の豊田市博物館が、谷口吉生が設計した豊田市美術館の隣に開館した。 文・撮影=王崇橋(ウェブ版「美術手帖」編集部) 豊田市博物館 外観 世界的に活躍する建築家・坂茂の設計による愛知県の豊田市博物館が4月26日に開館した。館長を務めるのは、前豊田市美術館館長・村田眞宏だ。 同館が建設されたのは、江戸時代に存在した城郭・「七州城」の遺構。明治以降は豊田市立童子山小学校や愛知県立豊田東高等学校の敷地として利用されており、隣には建築家・谷口吉生が設計した豊田市美術館が1995年に開館している。 坂茂は4月25日に行われた内覧会で、博物館建物の設計にあたり谷口の建築とバランスよく配置し、プロポーションを決めたとしつつ、「美術館に来た人も博物館を発見し、博物館に来た人も自然に美術館に流れていくように並列させ

    坂茂設計の豊田市博物館が開館。豊田市美術館と補完し合う相乗効果を狙う
  • 国立ハンセン病資料館で「絵ごころでつながる-多磨全生園絵画の100年」が開催。絵画が寄り添った施設の100年

    国立ハンセン病資料館で「絵ごころでつながる-多磨全生園絵画の100年」が開催。絵画が寄り添った施設の100年東京・東村山市の国立ハンセン病資料館で、療養施設・多磨全生園の絵画活動100年の歩みをたどる展覧会「絵ごころでつながる-多磨全生園絵画の100年」が開催される。会期は3月2日〜9月1日。 絵を持つ「絵の会」会員、新憲法公布記念の書画展開催にあたって 1946年11月撮影 国立ハンセン病資料館蔵 東京・東村山市の国立ハンセン病資料館で「絵ごころでつながる-多磨全生園絵画の100年」が開催される。会期は3月2日〜9月1日。 およそ100年前となる1923年10月31日、ハンセン病患者の療養施設、第一区府県立全生病院(現・多磨全生園)の礼拝堂で、入所者が描いた絵画を初めて展示した「第壱回絵画会」が開幕した。展は、この絵画会を起点とする多磨全生園の絵画活動100年の歩みを一望し、初公開のも

    国立ハンセン病資料館で「絵ごころでつながる-多磨全生園絵画の100年」が開催。絵画が寄り添った施設の100年
  • 伊藤若冲の新発見。絵巻《果蔬図巻》を福田美術館が公開

    伊藤若冲の新発見。絵巻《果蔬図巻》を福田美術館が公開京都・嵐山にある福田美術館が、新たに発見された伊藤若冲による絵巻を初公開した。 文・撮影=橋爪勇介(ウェブ版「美術手帖」編集長) 新たに発見・収蔵された伊藤若冲《果蔬図巻》(1791) 今年開館5年を迎える京都・嵐山の福田美術館が、伊藤若冲作(1716~1800)の新発見の絵巻を披露した。 伊藤若冲は言わずと知れた江戸時代の絵師。京都の青物問屋「枡屋」の長男として生まれ、裕福な環境のもと、独学で作品を制作した。その作風は細部まで描き込まれたものが多く、極彩色で彩られた絹着色の作品や、即興的な筆遣いとユーモラスな表現が特徴の水彩画は、日美術史上でも異彩を放つ。 今回披露された作品は1791年、若冲が76歳のときに描いた全長277センチ(跋文を加えると332センチ)あまりの絵巻で、《果蔬図巻(かそずかん)》と名付けられた。若冲としては珍し

    伊藤若冲の新発見。絵巻《果蔬図巻》を福田美術館が公開
  • 親子で振り返る0歳からの美術鑑賞。一緒だからこそ感じられた美術の「楽しさ」

    親子で振り返る0歳からの美術鑑賞。一緒だからこそ感じられた美術の「楽しさ」息子が0歳の頃より、ともに美術館やギャラリーを訪れ、展覧会の感想をウェブ上で発信してきたSeina氏。当時のことを振り返ってもらうとともに、親子で美術館に行くとはどのようなことなのか、息子の勝氏とともに話を聞いた。 聞き手・構成=安原真広(ウェブ版「美術手帖」副編集長) 李禹煥美術館にて、勝氏 提供=Seina氏 各美術館やギャラリーが親子での鑑賞環境を整備するいっぽうで、子連れで展覧会に行くにはまだ多くのハードルがあることも事実だ。0歳の頃より息子とともに国内外の美術館やギャラリーを訪れ、展覧会の感想をnote等で発信してきたSeina氏に当時のことを振り返ってもらうとともに、親子で美術館に行くとはどのようなことなのか話を聞いた。また、息子の勝氏にも参加してもらい、当時感じていたことも話してもらった。 親子で美術館

    親子で振り返る0歳からの美術鑑賞。一緒だからこそ感じられた美術の「楽しさ」
  • 「中平卓馬 火―氾濫」を東京国立近代美術館で見る。写真、メディア、その向こうにある権力

    「中平卓馬 火―氾濫」を東京国立近代美術館で見る。写真、メディア、その向こうにある権力東京・竹橋の東京国立近代美術館で、理論と実践の両面において日写真史に大きな足跡を残した中平卓馬の没後初となる格回顧展「中平卓馬 火―氾濫」が開幕。会期は4月7日まで。 文・撮影=安原真広(ウェブ版「美術手帖」副編集長) 展示風景より、《氾濫》「15人の写真家」(1974) 出品作 東京・竹橋の東京国立近代美術館で、写真家・中平卓馬の没後初となる格回顧展「中平卓馬  火―氾濫」が開幕した。会期は4月7日まで。担当学芸員は増田玲。 展示風景より 中平は1938年東京生まれ。63年東京外国語大学スペイン科卒業。月刊誌『現代の眼』編集部に勤務していたが、誌面の企画を通じて写真に関心を持ち、65年に同誌を離れ写真家、批評家として活動を始める。68年に多木浩二、高梨豊、岡田隆彦らと季刊誌『PROVOKE』を創刊

    「中平卓馬 火―氾濫」を東京国立近代美術館で見る。写真、メディア、その向こうにある権力
  • 髙田賢三、没後初の大規模個展。東京オペラシティ アートギャラリーで開催へ

    髙田賢三、没後初の大規模個展。東京オペラシティ アートギャラリーで開催へ2020年に惜しまれつつ逝去したKENZOの創設者・髙田賢三(1939〜2020)。その没後初となる大規模個展「髙田賢三 Takada Kenzo」が、東京・初台の東京オペラシティ アートギャラリーで開催される。会期は2024年7月6日〜9月16日。 文化出版局 (C)装苑 1971年9⽉号 増渕達夫撮影 2020年に惜しまれつつ逝去したKENZOの創設者・髙田賢三(1939〜2020)。その没後初となる大規模個展「髙田賢三 Takada Kenzo」が、東京・初台の東京オペラシティ アートギャラリーで開催される。会期は2024年7月6日〜9月16日。 文化出版局 ⒸHigh Fashion 1970年6⽉号 岩⽥弘⾏ 撮影 髙田賢三は日人デザイナーとしていち早くパリに進出し、ファッション界の常識を打ち破るスタイルを

    髙田賢三、没後初の大規模個展。東京オペラシティ アートギャラリーで開催へ
  • 東京都写真美術館で「没後50年 木村伊兵衛 写真に生きる」が開催へ

    東京都写真美術館で「没後50年 木村伊兵衛 写真に生きる」が開催へ東京都写真美術館で、日近代写真の巨匠・木村伊兵衛の没後50年展「没後50年 木村伊兵衛 写真に生きる」が開催される。会期は3月16日~5月12日。 板塀 追分 秋田 1953 東京・恵比寿の東京都写真美術館で、日近代写真の巨匠・木村伊兵衛(1901〜1974)の没後50年展「没後50年 木村伊兵衛 写真に生きる」が開催される。会期は3月16日~5月12日。 木村は、1920年代に実用化が始まったばかりの小型カメラに写真表現の可能性をいち早く見出し、それを駆使した文芸諸家のポートレート、あるいは東京下町の日常の場面を素早く切り取るスナップショットで名声を得た。33年に開催された「ライカによる文芸家肖像写真展」では、従来の型にはまった肖像写真ではなく、被写体の一瞬の表情の変化をとらえる独自のスタイルを確立。また、36年には初

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  • 風景写真家・マイケル・ケンナ、日本をテーマとした巡回展が東京からスタート

    風景写真家・マイケル・ケンナ、日をテーマとした巡回展が東京からスタート風景写真家として人気を博すマイケル・ケンナ。そのライフワークのひとつとも言える日をテーマにした世界巡回展「JAPAN / A Love Story 100 Photographs by Michael Kenna」が東京からスタートする。会期は4月17日〜5月5日。 Red Crown Crane Feeding, Tsurui, Hokkaido ©Michael Kenna モノクロフィルムによる静謐な風景写真で知られるマイケル・ケンナ。日でもファンの多いこの作家の世界巡回展「JAPAN / A Love Story 100 Photographs by Michael Kenna」が東京からスタートする。東京展の会場は代官山ヒルサイドフォーラム。会期は4月17日〜5月5日。 Dancing Trees, Ku

    風景写真家・マイケル・ケンナ、日本をテーマとした巡回展が東京からスタート