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ブックマーク / jmiyaza.hatenablog.com (285)

  • 谷沢永一 「紙つぶて 自作自注最終版」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    [文藝春秋 2005年12月5日初版] 谷沢永一の名前を初めて知ったのがいつのことかもう覚えていない。どこかで「谷沢永一に噛みつかれたらおしまい」という怖い書評家という風評をきいたのか、あるいは開高健のエッセイのどこかで読んだのか、あるいは開高をふくむ伝説的同人誌「えんぴつ」の総帥として名前をみたのか、おおかたそのどれかであったのだろうと思う。だいぶ長い間「やざわ」と読むのだと思っていて、「たにざわ」と読むことを知ったのもだいぶたってからであった。 手許にある「完 紙つぶて」が1978年初版、「紙つぶて 二箇目」が1981年刊行となっているから、「紙つぶて」を読んだのももう30年近く前ということになる。書はそのかって刊行された書評コラム集「紙つぶて」の各文のすべてに、自文自注として、連歌俳諧における付合の要領で注を付したものである。文約600字、注約500字。かっての「紙つぶて」がニ

    谷沢永一 「紙つぶて 自作自注最終版」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)
  • 三木成夫 「内臓のはたらきと子どものこころ 増補改定新装版」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    築地書館 1982年8月20日初版 養老孟司のを読んでいると時々三木成夫の名前がでてくる。たとえば、「脳が読む」「考える人2003年春号」など。なんとなく気になっていたところ、偶然、丸善店で見つけた。. 大変なであるが、ここからすぐに連想されるのが、夢野久作の「ドクラ・マグラ」であり、D・H・ロレンスの「無意識の幻想」であり、グレゴレイ・ベイトソンの「精神と自然」である。なんだかどこかオカルトであり、ニュー・サイエンスであり、反近代でもあったりするわけで、現在の科学の世界からは完全に無視される運命にありそうなである。しかし強烈なインパクトをもつであることは間違いない。三木も養老もどちらも解剖学者であるが、どうして解剖学者というのは、そろいもそろって変なことを考えるようになるのか? 養老によれば、三木の大学での講義では終わったあと拍手が起きたのだそうである。書は講演の記録であり、

    三木成夫 「内臓のはたらきと子どものこころ 増補改定新装版」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)
  • 石牟礼道子さん - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    石牟礼道子さんが亡くなったらしい。 多くの方がそうなのではないかと思うが、わたくしも石牟礼氏の名前を初めて知ったのは「苦海浄土」の作者としてである。「苦海浄土」は水俣病被害を告発する反=公害の文学というような触れ込みであったから、わたくしがもっとも苦手とする方向の作品であると思い、手にしようなどとはまったく思わなかった。 石牟礼氏はどうもそういう方向の人ではないらしいぞ、ということに気づいたのは渡辺京二氏の著作をいくつか読むようになってで、「そうか、石牟礼さんというかたはD.H.ロレンスの系譜の人なのだ」と思うようになった。 わたくしが最初にいかれた思想家が福田恆存で、その福田氏がかつぐ神輿がロレンスであったわけであるが、ロレンスも苦手で「チャタレー夫人」しか読んでいない。ロレンスは小説などを書くはずがない、知的な作業などということには軽蔑しか感じない人間だったわけであるが、そのロレン

    石牟礼道子さん - jmiyazaの日記(日々平安録2)
  • 岡田暁生「クラシック音楽とは何か」(2) - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    今、われわれが自明のものとしているさまざまな価値観は結局のところ西欧に由来しているのだと思う。それは突き詰めれば「個人」というものにいきつくような何かで、現在の中国あるいはロシアがどの程度「個人」を尊重しているのか大いに疑問はあるにしても、それらの国でも公然とは「個人」を否定することはしない。 小説という形式が近代の西欧において発達したということとそれは無関係ではない。小説とは小人の話であり、英雄譚の対極にあるものである。市井の凡々たる人間の生にも英雄の生涯に勝るとも劣らない価値があるという信念が、それを支えている。 岡田氏によれば、ベートーベンの交響曲は200年前に書かれた「We are the World」であり「頑張りソング」である。 わたくしは非常に知識がかたよった人間なので、この「We are the World」という曲について今日の今日まで何も知らなかった。それで、ネットで調

    岡田暁生「クラシック音楽とは何か」(2) - jmiyazaの日記(日々平安録2)
  • 岡田暁生「クラシック音楽とは何か」(1) - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    小学館 2017年11月 このようなタイトルのではあるが、すべての内容がその問題を論じているわけではない。しかし、多くはそれと関連した話題を扱っているので、しばらく、このにそって、それについて考えていきたい。 で、岡田氏によれば、クラシック音楽とは「十八世紀前半から二十世紀初頭、わけても十九世紀に作曲されたヨーロッパ音楽の名作レパートリーのこと」である。 この定義からして、中世からルネサンスの音楽は「クラシック」にはふくまれず「古楽」と呼ばれる。ルネッサンスの次に来る「バロック」は古楽からクラシックへの時代への過渡期となる。バロックの後半(18世紀にはいってから)になってようやく、ヴィヴァルディ、ヘンデル、スカルラッティ、バッハといったわれわれになじみの名前がでてくる。 しかしバロックの時代にはまだ交響曲はない。弦楽四重奏も独奏ソナタもない。フーガは基的にはバロックのものであるが、ソ

    岡田暁生「クラシック音楽とは何か」(1) - jmiyazaの日記(日々平安録2)
  • ■ - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    精神の政治学 (中公文庫プレミアム) 作者: ポール・ヴァレリー,吉田健一出版社/メーカー: 中央公論新社発売日: 2017/12/22メディア: 文庫この商品を含むブログ (1件) を見る 吉田健一訳 ポール・ヴァレリー「精神の政治学」 中公文庫 2017年12月 吉田健一の若き日の散文というのは読めたものではない悪文であること。同時に、同じ時期の翻訳というのが極めて明晰流麗なものであるというのは健一ファンの多くが知るところなのではないかと思う。 たとえば、「ハムレット異聞」(昭和25年 角川書店)に収められた「ラフォルグ論」の一節、「近代は、いはばなくてもよかつた時代であり、因果関係によつてその存在を説明することしか出来ない時代なのである。すなはち理想論的に言へば、また近代以前までは恐らく事実であつたことに従へば、過去は或る一時代に於て歴史的なものであり、それを史的に統一できる材料に於

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  • 養老孟司「遺言。」(2) - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    4章は「乱暴なものいいはなぜ増えるのか」というタイトルであるが、これは最近の日人は言葉遣いが乱暴になったといったことを論じているのではなく、「ものごとを単純にいうためには、乱暴にいうしかないといったをいっている。ちょっとミスリーディングなタイトルである。 まず定冠詞と不定冠詞の話から。「ここにある特定のりんご」と「りんご一般」が区別され、りんご一般が不定冠詞、特定のりんごが定冠詞ということがいわれる。そして、定冠詞は感覚所与とかかわる。「昔々、あるところに、おじいさんとおばあさんがおりました。おじいさんは山に芝刈りに、おばあさんは川に洗濯に」  おじいさんとおばあさんが、の「が」が不定冠詞、おじいさんはの「は」が定冠詞。この「昔々」の文そのものを、定冠詞、不定冠詞とはどういうものかということを説明したで読んだ記憶があって、岩波新書の外国人が書いただったように記憶している。とにかく、そ

    養老孟司「遺言。」(2) - jmiyazaの日記(日々平安録2)
  • 養老孟司「遺言。」(1) - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    新潮新書 2017年11月 養老さんのは一時は随分と読んだものだった。今棚を見てみたら対談などを除いても40冊以上はありそうである。「バカの壁」以降はあまり読まなくなっていたが、それは「バカの壁」がベストセラーになって、それ以降、氏の著作は、何かについて考えるという姿勢から、日の現状を批判し日のあるべき今後の道を読者に示すという方向に、執筆の方向がいささか変わったように感じられるようになったためということがあるのではないかと思う。もちろん、氏のがいくら売れたところで日はいささかも変わることはなかったわけで、要するに「バカの壁」がベストセラーになったこと自体が何かの間違いだったというだけのことなのだと思う。氏のような、どう考えてもマイノリティの側に属するとしか思えない人間の言説が日に体制にいささかでも爪痕を残すなどという来ありえないことなのである。 これは村上春樹氏の場合に

    養老孟司「遺言。」(1) - jmiyazaの日記(日々平安録2)
  • 半藤一利 阿川佐和子「昭和の男」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    昭和の男 作者: 半藤一利,阿川佐和子出版社/メーカー: 東京書籍発売日: 2017/09/02メディア: 単行この商品を含むブログ (1件) を見る 半藤一利が鈴木貫太郎、今村均、松清張、半藤末松、阿川阿佐和子がW・M・ヴォーリズ、植木等、小倉昌男、阿川弘之をとりあげて論じる対談。二人とも自分の父親をとりあげているというかなり安易な人選で、この8人を通じて昭和という時代が浮かび上がってくるかというとまったくそのようなことはない。 この中でわたくしが知らなかった今村均とヴォーリズが面白かった。今村均は元陸軍大将で日の陸軍にもこういうひとがいたということを知った。なんでこんなひとが陸軍大将になれたのかと思うが、陸大では主席で軍人としても有能なひとであったらしい。 もう一人、ヴォーリズ。このひとはアメリカ出身の建築家。なんで阿川佐和子がとりあげているのかというと、阿川さんは中高を東洋英和

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  •  河合隼雄 中沢新一 「仏教が好き!」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    朝日新聞社 2003年8月30日 初版 わたくしは宗教とはまったく縁なき衆生であって、かって来世などというものを一度たりとも信じたことがない。確か高校の初学年のころに、はじめてプラトンのイデア説を知ったとき、なんとバカげた説であろうかと思ったくらいであるから、筋金入りの唯名論側人間であって、実在論に親近感を感じたことがない。唯名論と唯物論がどのようにかかわるのかといったことはまじめに考えたことはないが、「こころ」あるいは「精神」といったものが最終的にはすべて物質の基盤の上になりたっていてなんら超越的なものを仮定する必要はないとは考えているとしても、「こころ」あるいは「精神」と呼ぶしかない何者かが人に存在することは認める。そうであれば唯物論者ではないことになるのだろうか? しかし観念論は大嫌いであるから、唯物論の方に近いのであろう。宗教はどう考えても実在論の側にあるように思えるので、わたくし

     河合隼雄 中沢新一 「仏教が好き!」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)
  •  福田逸「父・福田恆存」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    父・福田恆存 作者: 福田逸出版社/メーカー: 文藝春秋発売日: 2017/07/28メディア: 単行この商品を含むブログ (4件) を見る このを買ってきたのは、わたくしが最初に決定的な影響を受けた文筆家が福田恆存であること、屋で目次をみたら「鉢の木会」についての文章が相当部分を占めていたことなどによる。最初福田恆存にいかれ、その文学仲間の集まりである「鉢の木会」の中村光夫、大岡昇平、吉田健一、三島由紀夫なども読むようになったというのがわたくしの20歳台の読書の大きな一つの流れになった(他には村上陽一郎氏を出発点とする科学論、科学哲学の方向・・最終的にはポパーにたどり着いたが、後から考えるとポストモダン思想との最初の遭遇、また医学部で講義される医学というものにどうにもないめないものを感じたことを発端にして読むようになった医療論や医学論の・・養老孟司さんのなど随分と読んだ・・など

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  •  橋本治「知性の顚覆」(4) - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    「近代の顚覆」の第2章は「大学を考える」というタイトルである。ではあるが、大学一般が論じられるのではなく、橋氏の経験した「大学闘争」についての議論が終始展開される。ところでそれについて氏は「私自身はそれがどういうものか分からなかったので、大学闘争のなんたるかという話は出来ない」と書いている。 橋氏に「ぼくたちの近代史」というがあって、そこに「東大闘争の話」という章がある。わたしが今まで読んだなかで、この橋氏の数十ページくらい、東大闘争というものをわかりやすい書いているものはないように思う。氏によれば、それは「大人は判ってくれない」ただそれだけの運動で、では何を判ってもらいただっていたのかというと「“大人は判ってくれない”と言って僕達がドタドタ叫んでいる、そのことを判ってほしい!」ということだったのだという、何だか身も蓋もない話である。「ぼくたちの近代史」は1968年前後という時代を

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  •  橋本治「知性の顚覆」(3) - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    さて、橋氏によれば「ヤンキー」とは「経験値だけで物事を判断する人達」で、それに対するものは「すべてを知識だけでジャッジする人」で「大学出」である。 わたしが若いころ、進歩的文化人という言葉があった。自分のことを進歩的文化人と自称するひとはいなくて、批判する側が主に用いていたのだから蔑称であったのだろうが、ではそういうひとたちが自分をどう自己規定していたのかといえば「知識人」ではないかと思う。そして「知識人」に対するものが「大衆」だったのではないだろうか。とすると「ヤンキー」は「大衆」ということになるのだろうか? 知識人というのは大衆の蒙を啓いて世を正しい方向に導くことに貢献することを己の使命と考えているひとで、そういうひとは1970年くらいまではまだ日にたくさん生息していた。わたくしが考える典型的な進歩的文化人はたとえば羽仁五郎である。アジテーターとしての才能が抜群だった。進歩的文化

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  • 山本七平ライブラリー(7)「ある異常体験者の偏見」の福田和也氏の解説 - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    文藝春秋 1997年 棚を整理していて奥からでてきた「山七平ライブラリー」の解説を拾い読みしていてこの巻の福田氏の解説が目についた。 福田氏はいう。欧米から来る日の社会や文学の研究者には山七平の著作を読むことを勧める、山を読まずして、日を語ることは出来ないといって。 山を読めば日の社会あるいは共同体について実に多くのことを知ることができる。しかし、だからといってそのことが彼ら研究者のキャリアに有利に働くかといえば、決してそうではない、と。なぜなら、欧米の日研究者が共通してもっている日理解の基は講座派から丸山眞男までの近代主義者によって形成されているから。つまり彼らの研究姿勢は、西欧から発した近代的学問の枠組みのなかに収まっているのであるが、山の論はそういう近代的学問的枠組みから逸脱しているからなのだ、と。 もっといえば、山が示したのは、日を語ることは形式的ア

    山本七平ライブラリー(7)「ある異常体験者の偏見」の福田和也氏の解説 - jmiyazaの日記(日々平安録2)
  • 山本七平「私の中の日本軍 上・下」」文藝春秋 昭和50年11月・12月刊 (二回目のとりあげ) - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    実はこのは2年半前くらいにも一度とりあげている。今回、年末に少し棚の整理をしていたら、この間に新しいに押しやられて奥のほうに隠れていたの中から「山七平ライブラリー」(文芸春秋)がかなり揃いででてきた。全16巻だが、第13巻「日人とユダヤ人」の巻以外はみんなそろっていた。それと一緒に、埋もれていたこの「私の中の日軍」の単行もでてきた。 山氏が自身の軍隊経験を直接つづったものとしては、「私の中の日軍 上下」昭和50年(1975年)12月刊、「ある異常体験者の偏見」1974年(昭和49年)5月、「一下級将校の見た帝国陸軍」 昭和51年(1976年) が一つのセットになっているが、山七平ライブラリーの最終巻である第16巻「静かなる細き声」(これ自体は未読)巻末に付された年譜によれば、昭和47年(1972年)に横井庄一さんがグアム島で発見されたのをきっかけに文藝春秋に書いた文が

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  • 山本七平「田中角栄の時代」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    田中角栄の時代 作者: 山七平出版社/メーカー: 祥伝社発売日: 2016/06/30メディア: 単行(ソフトカバー)この商品を含むブログ (1件) を見る 以前に『「御時世」の研究」』というタイトルで刊行されたものの改題再刊らしい。 山氏のはある程度読んでいるほうかと思うが、このは読んでいなかった。まだ50ページくらいであるが、面白い。まず、東京(江戸)の成立についての考察が面白い。竹村公太郎氏の「日文明の謎を解く」の第一章「新・江戸開府物語」を思い出した。 薩長政権対会津というようなことは時々考えることはあったが、暖国対寒国ということは今まで考えたことはなかったように思う。 田中角栄が宰相になった時の新聞の論調(その時に読んでいたのは「朝日」と「毎日」)の大声援のようなものはよく覚えている。何かが変わるのではないか? 何か変えてくれるのではないか? というような期待感の表明

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  •  日本文学全集 08 日本霊異記 今昔物語 宇治拾遺物語 発心集 - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    霊異記/今昔物語/宇治拾遺物語/発心集 (池澤夏樹=個人編集 日文学全集08) 作者: 伊藤比呂美,福永武彦,町田康出版社/メーカー: 河出書房新社発売日: 2015/09/11メディア: 単行この商品を含むブログ (22件) を見る 書店で何気なく 町田康訳の「宇治拾遺物語」を立ち読みしていたら、とても面白く買ってしまった。 最初の「道命が和泉式部の家で経をを読んだら五条の道祖神が聴きに来た」の冒頭。「これはけっこう前のことだが、道明というお坊さんがいた。藤原道綱という高位の貴族の息子で、業界でよいポジションについていた。そのうえ、声がよく、この人が経を読むと、実にありがたく素晴らしい感じで響いた。というと、ああそうなの。よかったじゃん、やったじゃん、程度に思うかも知れないが、そんなものではなかった。じゃあどんなものかというと、それは神韻縹渺というのだろうか、もう口では言えないく

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  • C・カレル「すべては1979年から始まった」(2)第2、10、13、18、24章 トウ小平の中国 - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    書は第2章以降、トウ小平、ヨハネ・パウロ二世、サッチャー首相、ホメイニー師の4人の動向とアフガニスタン情勢が交互に描かれていく。世界で同時に進行していく変化を臨場感をもって描くためであろうが、2、10、13、18、24章はトウ小平をあつかっている部分であるので、それをまとめてみていくことにする。 1976年中国北東部の唐山市で大きな地震があり、政府の発表で24万人、専門家の推定では100万人ともいわれる死者をだした。20世紀で最悪の地震だった。北京でも地震は感じられ、数ヶ月前に政敵に追い出されて追放されたトウ小平もそれを感じた一人だった。76年は辰年で中国では大きな厄災がおきる年と信じられていた。この年の1月には周恩来が逝去している。 トウ小平は1956年には中国共産党総書紀(ナンバー3)に選ばれているが、1969年文化大革命で失脚、地方のトラクター工場に送られた。長男は紅衛兵に追われて

    C・カレル「すべては1979年から始まった」(2)第2、10、13、18、24章 トウ小平の中国 - jmiyazaの日記(日々平安録2)
  • C・カリル「すべては1979年から始まった」 草思社 2015年1月 (1)「日本語版によせて」 プロローグ「激しい反動」 第1章「不安の高まり」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    エズラ・ヴォーゲルの「ジャパン・アズ・ナンバーワン」が刊行されたのが1979年なのだそうである。その頃不況にあえいでいたアメリカに教訓をあたえたいと思ったのだと。シンガポールや台湾や香港、韓国などはすでに日に学んでいたのだから。 1979年は、後から振り返ってみると世界経済の序列に劇的な変化が始まった年であった。訒小平は1978年に日を訪れたとき、中国はまさに劇的な変化を遂げようとしているのだと語ったが、日側でそれを真剣に受け止めたものはいなかった。 書は未来に何が起きるかを完全に予測することはできないという教訓を提供するものなのだと著者はいう。 1979年1月、イランのシャー(国王)は祖国を去り二度と戻らなかった(戻れなかった)。37年の統治によりイランに近代化と経済の発展をもたらし、秘密警察と世界有数の軍隊を擁していたにもかかわらず、パリに亡命しているシーア派の長老ホメイニーを

    C・カリル「すべては1979年から始まった」 草思社 2015年1月 (1)「日本語版によせて」 プロローグ「激しい反動」 第1章「不安の高まり」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)
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    治「義太夫を聴こう」 義太夫を聴こう 作者: 橋治出版社/メーカー: 河出書房新社発売日: 2015/10/19メディア: 単行この商品を含むブログ (3件) を見る おそらく「浄瑠璃を読もう」の姉妹編ということになるのだろう。わたくしは歌舞伎を観ず(生まれてから観たのは2回だけ)、人形浄瑠璃は観たこともない。それでも「浄瑠璃を読もう」はとても面白かったので、義太夫を観たことも聴いたこともないわたくしでも面白いのではないかと買ってきた。 巻末近くの鶴澤寛也という「女流義太夫三味線弾き」さんとの対談だけしか読んでいないが、面白い。 橋:今の人は不幸になると「心が折れる」といって、前後関係なしに不幸。心って千歳飴みたいに棒になっているわけじゃないんだもの。・・心はもっとジェル状のものだから。・・義太夫は「無駄死にでした」ということはあまりやらない。 治さんは「今の人」ではないのである

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