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ブックマーク / twoineko.hatenadiary.org (14)

  • 鳩笛雑記帳★祝 闇黒日記復活 - 常用漢字表は不要

    例によって、正字・正假名使ひの爲のアンテナ経由で。 C調六重奏:2007年09月10日 常用漢字表の拡張は不要 前半については特に無し。たぶんもっともな指摘なんだらう。 後半。絵に描いた、それもうまいかどうか分らない、と評すれば足りる。 「まぜがき」についても反対です。「憂うつ」を「憂」と書くことにも反対です。では、どう書けばいいのかといいますと、「ゆううつ」「ユウウツ」でいいのです。「ユーウツ」という書きかたが普通になるかもしれません。「ゆううつ」という語は一般化しており、同音異義語もありませんので「ユ ウ ウ ツ」という音でことばを判断できます。「ここ数日、憂で、憂で」と言うかわりに「ここ数日、気がはれなくて」でもいいのです。 常用漢字表の見なおしと常用漢字をふやすことをしない限りまぜがきを強要される場合が(今と同じく)あり得る。代用できる語が無いが、その字が使へないとなれば

    鳩笛雑記帳★祝 闇黒日記復活 - 常用漢字表は不要
  • 2007-01-13

    抜萃。原文は正字。「先生」は井上通泰。 歌は先生にはあくまでも伝統的な文学であった。着想は清新を尊ばれたが、それも伝統的趣味に立脚すべきものとせられたらしかった。修辞はあくまでも典雅たるべきことを要とせられた。新語の使用に当っては、それが歌の来の調を乱すものか乱さぬものかを厳重に吟味せられた。わざわざ廻りくどいことをいはずとも、汽車は汽車、こすもすはこすもすでよいとせられたが、といって電車は困る、たんぽぽは用ひられぬ、といはれた。かやうな制限は、初歩の人々には窮屈に感ぜられるわけだったが、「相撲も土俵といふ狭い制限せられた場所で秘術を尽すところに面白味がある。歌にしても三十一音といふ短い形の上に、いひたいことを過不及なく表現しようとするところに面白味があるのだ」といはれた。言葉もまた同じことで、雅馴な言葉でいひたいことをいはうとするところに面白味があるわけだった。それだけ歌はむづかしい芸

    2007-01-13
  • 2006-12-03

    抜萃。 緑雨の随筆を紹介した序に、その雑文をも一つ挙げて置きたい。博文舘の看板雑誌『太陽』では、創刊当時、諸家の寄稿の初めに、その人の小伝をも附することにしていたのであるが、その文を書けとの注文に代うるに、緑雨は次のような短文を以てした。おおよそ人をった文も、これほどなのはないのではないかと思われる。 略歴を掲げよとや。僕の族籍年齢が知りたくば、区役所にて調べたまへ。番地が分らずば、派出所にて尋ねたまへ。正直正太夫と申す別号あれども、これは証文の用に立たず。戒名はまだ附かねど、寺は禅宗なり。幼より聡明穎悟は言ふ迄もなし。右の手に箸持つ事をつひぞ忘れぬにても察したまへ。全体文豪といふは、むかしから性の知れぬ者なり、彼の沙翁を看たまへ、巣林子を看たまへ、今以て性が知れぬにあらずや。海とも山とも性の知れぬ点に於ては、僕もたしかに文豪なり。名刺の肩に大日帝国文豪と書入れても、諸君は決して之を拒

    2006-12-03
  • 白川静は漢字制限批判者である!(永江某のちゃんちゃらをかしい杜撰な知ったかぶりの白川評について) - 鳩笛雑記帳

    まだ書き途中。 この前メモした時はうっかり読み流してしまったが。 斎藤美奈子&永江 朗の「甘い 辛い」 15(Googleキャッシュ) 『字書を作る』の書評部分。 永江そう。担当者は猛省すべき。今からでも遅くはないから、増刷分からはちゃんと明記すべきだよね。[注、初出一覧が無いなど編集が杜撰であることの指摘] それはそれとして、白川静のこのは文字を固定したものと考えないところが新鮮です。文字は時代によって変化し続けていると著者はいう。私たちも、その変化の流れの一部分に立っているにすぎない。 これを読みながら連想したのはワープロの文字数が制限されている、文字数が少ない、と一部の作家が騒ぎ出したこと。文字数に制限があるからワープロ文化は日語を破壊すると・・・。彼らは日語の文字を固定されたものとしてしか考えられないのですね。 でも白川静は違う。『字統』にはこうあります。「書の収録字 

    白川静は漢字制限批判者である!(永江某のちゃんちゃらをかしい杜撰な知ったかぶりの白川評について) - 鳩笛雑記帳
  • 2006-11-26

    学問のすゝめ前半八編までは翻訳に肉付けしたもの。翻訳臭皆無なのが見事とのこと。 徳富蘇峰が『人物管見』所収の文章で『文字之教』をほめてゐる。 福沢びいきの人々。小泉信三、中野重治、正宗白鳥、山田愛川、海音寺潮五郎、大内兵衛。 中野『日語 実用の面』の「福沢諭吉と森鴎外」。 福沢と勝海舟は似すぎてゐたから仲が悪かったのではないか、と言ふ。 福沢は執権北条氏や家康のファン(初期は違ふが)。 福沢のユーモアあふれる譬喩・皮肉の面白さを指摘してゐる。 目次 序 『学問のすゝめ』の文学性――小泉信三記念講座講演―― 『文学之教』の功績 『文明論之概略』に学ぶべきもの バジョツトの『英国の国家構造』と福沢の皇室論 『福翁百話』に見る福沢晩年の思想 『福翁百話』余録 『福翁自伝』はいかに読まれてきたか――山路愛山から佐伯彰一氏まで―― 『瘠我慢の説』私説――福沢諭吉の勝海舟批判是か非か―― 馬場恒吾の

    2006-11-26
  • 鳩笛雑記帳:[言葉][正字正かな]藤堂明保の白川静批判

    妄言師@無銘の銘柄■[文学・読書]藤堂明保の書評 藤堂明保による白川静『漢字』(岩波新書)の書評を、国会図書館で入手した。妄言師なりに要約すると「白川は字源研究者ではなく、中国古代宗教研究者だ。こんなを書かせるのは、編集部の人選ミスである」といふことである。立命館の教授が、年下の東大助教授(当時)にこんな事書かれたら腹が立つのも当然だ。白川による感情剥き出しの反論も致し方ない気がする。 ちなみに、妄言師が大学で習つた “漢文学” の老齢の先生と “中国文学” の若い先生とは、いづれも藤堂の辞書を勧めてゐた。 なんか、この書き方だと白川氏の反論が腹立ちの余りに書かれた、意味もなく感情剥き出しの何の取柄もないものだと思はれさうだ。悪宣伝なのかな? 悪気の無い「妄言」かな? 藤堂の書評、ちょっとは読んでみたい気もするが借りるにしても大変さうだな。 ぐぐったついでに検索結果の8ページ辺りまでのを

    鳩笛雑記帳:[言葉][正字正かな]藤堂明保の白川静批判
  • 2006-11-19

    限定しないと全文「抜萃」になってしまひさうだから面白い(笑へる)もののみ。 子路が魯国の有力者季氏の家臣だった時のことである。弟弟子の子羔を季氏に推薦して費という町の長官職に出仕させようとした。費は要衝の地であり、政争や叛乱の危険がある。未熟な若者である子羔に治めきれるような所ではなく、孔子は反対して子路に言った。「勉強中の若者がだめになってしまうではないか」。これに対して子路が言う。「費の町にも、民衆はいます、伝統文化はあります。実地で学ぶのも勉強でしょう。先生、書物を読むことだけが勉強なんですか」 [略] さて、それにしても、子路の言葉はなかなか正論である。というより、いつもの子路らしくもなく整然と筋が通っている。孔子がプッと吹き出しながら言った。「私はいつも言っているだろう。口のうまい奴は信用ならぬでな」。おそらく、剛毅を誇る子路は、秀才揃いで弁の立つ弟弟子たちに同じせりふを吐いてい

    2006-11-19
  • 2006-10-22

    空が明らむといふ新しい(と思はれる)語形には違和感がある、自分なら明るむだ、とのこと。(p42) 「腹をくくる」「どまんなか」は元は関西弁。(p52) 「あっけらかん」は元は茫然自失の状態。さらに古くは「手持ちぶさた」かも知れない(朱楽管江が手持ちぶさたなのでわれのみひとりあけら管江と書きつけたエピソード)。(p130) 「ある程度の」といふ程の意味で「一定の〜」と使ふが、文字通りには「不変の」といふ意味なので、一定の成果など、人によっては違和感を覚える。(p160) 辞書の客観主義と規範主義とを調和させる考へ方として、著者は辞書=かがみ論を唱へてゐる。辞書は社会のことばを映す鏡であると同時に各人の言語行動の鑑であると。そして、まず鏡であって次に鑑となりうることに注意を促してゐる。(p202) 続きを読む 昭和47〜53年の論文集。 これまで論述してきたように、〈正字〉には二つの意味用法が

    2006-10-22
  • 2006-10-21

    たまってしまった読書メモをアップ。 欧洲文献学を標準として宣長学を考へてみることは、思ふに興味深く、かつ宣長学の意義を明らかにする上に、最も適当な方法であらねばならぬ。と言ふ。その後、文献学の注では13ページも費してゐる(p17〜31)。 古人の意識の再現。知られたることを知る。(p15) 躰は原文通りなのだらうか。(p29) 認識せられた歴史をを明らかにしたのが宣長の文献学の意義。(p180) 1965年。同選書の「旧事諮問録」の姉妹篇とも見れば見らるるものである。「江戸会誌」「旧幕府」「同方会誌」など明治二十〜三十年代に出た雑誌の記事を集めたもの。 青蛙房図書目録【青蛙選書】 「庭訓往来」。別の人が担当する「句双紙」と併録。「実語教童子教諺解」も収録。 借りてみたら何と「中学生の国語全書3」だった。話しかけるやうな文章なのでかへって読みにくい。 前書きから。 私たち二人は、このをまと

    2006-10-21
  • 2006-10-11

    追記 タイトルをつけた(10月14日)。この項は「黒歴史」。誰かさん(あるかさん)の罠(?)にはまって醜態をさらした。(5)や(4)を参照。(以上追記。) 続きを読む 気になる。 『光文社古典新訳文庫』 『祖先の物語ド−キンスの生命史』上下 『ウソ読みで引ける難読語辞典』 書評オタク・イン・USA 愛と誤解のAnime輸入史』(井上章一) 日のアニメが、アメリカで変形されてしまうところも、興味ぶかい。『宇宙戦艦ヤマト』からは、日色、あるいは大和魂がほぼ一掃された。重厚かつ荘重なデスラー総統の声も、“オカマ言葉”にふきかえられている。 ひどいな。ちょっとだけ見てみたい気もするけど。 今週の「毎日母さん」(毎日新聞連載)のこと。 作者(?)は計算が苦手だといふ話で「69×9は?」「ええと、700弱」といふやうなやりとりがあるけど、700弱といふのは(その場しのぎの答としては)立派なもの

    2006-10-11
  • ろくに調べもせずに旧字を弁護・支持してみる(2) - 鳩笛雑記帳

    追記 タイトルをつけた(10月14日)。この項は「黒歴史」。誰かさん(あるかさん)の罠(?)にはまって醜態をさらした。(5)や(4)を参照。(以上追記。) 〈正字体〉って? の続き こちらもまだ調べてないところもあるので途中経過といふ感じなので(「いつでも途中経過」とか言はれさうだ)、大したコメントは出来ないけども。 おそらく「鳩笛雑記帳」さんは〈旧字〉に慣れてしまっているのでしょう。だから〈旧字〉も〈新字〉も同じように読め、もう普通の〈旧字〉に親しんでない人間が〈旧字〉に接したときに感じる違和感も理解できないのかもしれません。 といふ点では、お互ひにこれは、おもしろいと思いながらも、一方ではなるほどなあ、と思ふまでのことで議論にはならないとしても、この前書いた文体が古いからとか昔の版のまま復刻されただから活字が摩耗してるとかが「頭に入りにくい」ことに全く関係ないのか疑問に思ふのですが。

    ろくに調べもせずに旧字を弁護・支持してみる(2) - 鳩笛雑記帳
  • 2006-09-24

    http://d.hatena.ne.jp/smallball/20060921/p4 http://lan.rgr.jp/battle/etiquette/strangeへのコメント。 「どうもです」は「どうもだ」とはいわないのでおかしいのじゃないでしょうか少なくとも真名垣様的には 正しい日語だの美しい文化だのは捨ててしまう必要があると思う 何故なら彼らは頭に蛆がわいているからだなんて書いた(引用した?)人が、言葉の誤用(らしきもの)をまじめに指摘してゐるのには感動した。不覚にも泣いてしまった(ウソ)。 少なくとも真名垣様的にはとしてゐるから、一往指摘したといふ程度のことなんだらうが、それでも感動はする。 でもまあ、「どうもです」は代用表現が無いから仕方ないと思ふ。「どうも」よりはやや丁寧で堅苦しくはない、といふ条件なのだらうから、「ありがたうございます」とかだとしっくりしない。真名垣

    2006-09-24
  • ■ - 鳩笛雑記帳

    山田俊雄『詞林逍遙』 漱石の全集につけられた注釈の粗雑で程度の低いものの例として三馬 漱石の当て字といふのを挙げてゐる。[三馬は当時はふつうの用字。わざわざ「漱石の」とする理由が全くない](p7) 「学問所」と「学校」は共に古い言葉だが、明治初頭は学校の方がいかめしい語で学問所の方が一般によく通じる言葉だった。(p12) [露伴の多彩な用字を列挙して] ほんの一部を抜き出すと右の通りである。当世の漢字制限は、必ずしも将来に向かって悪いことではない。しかし、露伴の如き人への親炙は全く期待できない事態を将来した。私は、露伴の研究者の出でざることを歎くよりも、それより前に、過去をすべて不可解の世界として無視する世代の風潮をおそれる。また過去をふりかえるのに、特定の人の眼鏡を通した、フィルターにかけられたものを、ほんものと思わねばならぬ世代の頽廃を惜しむ。たとえば、『万葉集』にしても、芭蕉にしても

    ■ - 鳩笛雑記帳
  • 太田行藏 - 鳩笛雑記帳

    いつも正字・正假名使ひの爲のアンテナを(勝手に)使はせて頂いてゐるのだけれど、さっき短歌雑記帳が更新されてゐて、「し」の乱れと書いてあったので太田行藏のことを思ひ出した。文とバックナンバーを読んでみたら、何と、いや「当然」と言ふべきか太田行藏に言及してゐた。 「し」と「る」と「たる」(3) 「人間土屋文明論」の著者の太田行蔵氏は、今年の二月に逝去されたが、「る」「たる」を使うべきところに「し」を平気で使う歌人どもに大いに警告を発したやかまし屋の老人であった。木島茂夫氏の主宰する歌誌「冬雷」を舞台として執拗に論陣を張った。この「し」の用法につき、木島氏は初め太田氏と言い争ったようだが、「冬雷」の作品は、この太田氏の主張を入れて現在でも「し」の乱れは、殆ど取り除かれているようだ。 今年とあるのは平成二年なのだらう。「し」と「る」「たる」(5)に(平成2・6〜2・10)とある。 この筆者は誤用

    太田行藏 - 鳩笛雑記帳
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